・・・今/昔

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 作成の成行き・・・

 2020年5月、この時期は「新型コロナウイルス」感染拡大で、国や都道府県から自粛を求められており、趣味の麻雀も自粛、最低週1回の飲み会も自粛している。

 麻雀は「三密」どころか4人で囲むので4密である。国民を取り締まるべきのナンバー2、東京高検の黒川検事長の様な「賭けマージャン」や「不要不急」を破るような度胸もない。
この御仁は間もなく辞職するだろう。しかし特権で弁護士になるはず、そうすると悪徳弁護士でまたまたご活躍すると思われる。世の中は、とかくそういうものである。

 いくら頭が良くても、出世したとしても、私はこのような偉い人には、なれるとしてもなりたくない。良心が許さない。私は小心者なのです。

 一般論として苗字に「黒」が付く人はどこか「?」である。ちなみに私の苗字には「白」が付く。蛇足で偏見だが・・・

 コロナ事件以来、私は退屈になると朝から、昼から、もちろん夜も酒ばかり、オハラショウスケさんを地でいく体たらく。

 しょうがないので、この3か月はホームページの更新に余念がない。幸い海外旅行150ヵ国程度を体験しているので、その情報を整理しながら作成している。
 今までは 宇宙からの使者  癒しのクラシック   魅惑のジャズ    世界の民族音楽 と進んできたが、今回は「移民・・・今/昔」とした。

 世界旅行で訪問した地で、日本人移民の苦労話、二世や三世の人達との遭遇などを取り入れて作成してみた。世界の文化や暮らしぶり、歴史などを学ぶことが出来た。先人や異国での苦労を忍びながらまた今夜も酒を飲む。自分が昇天した時の湯灌は、酒でしてくれと遺言をしたためておいた。安心!

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    ☆ハワイへの移住・・・第一歩は1868年(明治元年)

 ハワイ出雲大社(左)

島根県にある出雲大社のハワイ分院で、1906年に創祀。

 マキキ聖城キリスト教会、ハワイ高知城(右)

ハワイへ移民した高知県出身の牧師によって建てられたプロテスタント教会。遠く離れた故郷、高知城天守を模している。1932年に建てられた。

・広島は、全国第一位の移民送出県

 広島は、全国第一位の移民送出県。戦前戦後あわせて約11万人がハワイに始まり、アメリカ、カナダ、メキシコ、ドミニカ共和国、ペルー、ブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンへ移住した。一世紀以上が経った現在、世界各地で広島にルーツをもつ日系人が活躍している。

 官約移民(ハワイと日本の国による契約)の募集は、全国的に行われたが、広島・山口・熊本・福岡の4県からの応募が多く、なかでも広島県からの渡航者は、約11,000人で、全体の3分の1以上を占めていた。  

 ハワイで成功したという話や移民の送金によって家や用地を購入したという話が広まるようになると、親戚や同じ郷土の出身者を頼って移住する人が増えていった。またハワイからは広島県人は「真面目によく働く」と評判になった。

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   ☆ブラジルへの移住・・・第一歩は1908年(明治41年)

 リベルダーデは、ブラジルサンパウロ市中心地に隣接する日本人街の地区である。
 世界最大規模の日本人街。
 ブラジルには現在約190万人の日系人が暮らしていると言われ、サンパウロにはその約70%が暮らしている。

 ホンダトヨタ自動車東芝東京海上日動コマツなど、様々な業種の日本企業が数百社進出しており、世界でも有数の規模の日本人学校サンパウロ日本人学校があるなど、日本との縁が非常に深い都市である。

私(HP管理人)の叔母もブラジルへの移民。4人のいとこ達は2世  左端が叔父でクリーニング業で生業、右端はあの
 小野田寛郎さん

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    ☆パラグアイへの移住・・・第一歩は1,936年(昭和11年)

 パラグアイのイグアス移住地は、イグアスの滝への観光拠 点にもなっているブラジルとの国境の町、エ ステ市から首都であるアスンシオン方向に 約 41 ㎞地点に位置している。現在の日系 移住者世帯数は、220 世帯(2010 年 3 月 現在)。

 イグアスでは日系移住者及びそ の子弟により日本人会が組織さ れている。その日本人会では日本人会事務所に加え、イグアス日本語学校、日本語高校、各種グラ ンド、診療所、薬局(診療所内)、 ピクポ公園、採石場、霊園、文化 交流センター、職員宿舎、などの 施設を運営管理している。

 

パラグアイの地に聳え立つ日本の城!海外で叶えた一国一城の夢

 場所は首都アスンシオンから南東へ約40kmイタの町。 その名は「前原城」。本来の名前は「御影城」という。城主は前原弘道氏で、1958年ご自身が二十歳の時に家族7人でパラグアイに 移住された方です。そしてこの城の建築を始めたのは、弘道氏の父である深氏でした。「自らの汗を 吸い込んだ南米の地に日本の城を・・・」との思いで、資材も重機もない中、建設 予定地の岩を掘り起こすところから始めたそうです。

日本から職人を招き、資材にも妥協せず、とりわけ瓦は“愛媛の菊間瓦”とこだわっている。

店名がひろしま、今は2世の娘さんが切り盛り、美味しい店でした お客さんで、ここを愛用すると云う沖縄から移住の2世家族

  レストランひろしまの小田廣生さん(2世)が語る

 両親が1956年12月、レストランの名前の由来でもある故郷広島を離れ、私が6歳のとき、家族6人でパラグアイのラパス移住地に移住したことから始まります。移住地での現実は厳しく、家族で農業を営んでおりましたが、1969年、農薬中毒で私が体を壊したことをきっかけに、家族は 60 キロ離れた大都市、エンカルナシオン市に生活拠点を移し、日本人の出張者や日系人に宿、食事を提供する小田旅館を開いたことが、現在の日本食レストランひろしまの原点となります。

 1986年には、私はエンカルナシオン市から首都アスンシオン市に移り、レストラン「ひろしま」1号店を開き、翌年兄夫婦が「小田旅館」をレストランに転業。その後、甥たちが日本での板前修業を終え、息子が日本で調理師の資格を習得し、現在では親子3代でアスンシオン市に3店舗、エンカルナシオン市に1店舗のレストランを営んでおります。

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    ☆アメリカへの移住・・・第一歩は1869年(明治2年)

 リトル・トーキョー(日本人街)

 アメリカ・ロサンゼルスダウンタウン内にあるアメリカ最大の日本人街通称である。「小東京」などとも呼ばれている。

 1885年 日本人漁民チャールズ・カメこと茂田浜之助がロサンゼルスダウンタウン地区1番街340番地に日本食店カメ・レストランを開店以降、25世帯の日系人が居住、日系児童の為の学校も出来、これがリトルトーキョー発祥の基礎となった。

    ☆サンフランシスコ移住で土産店

 サンフランシスコの商店街にある土産物店のご主人は移住してかなり古い。

 写真右はクリントン元大統領、古い友人であると言う。

 右の写真は吉幾三が訪問した時の写真。

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    ☆日本人海外渡航(移住)年表

 移民の始まりと現在 

・14 世紀(室町時代)から 17世紀(江戸時代)にかけて東南 アジア地域に貿易の拠点を作
 り、各地に 「 日本人町 」 が誕生した。

・徳川時代、インドネシアの ジャカルタ など東南アジア各地に 1,000人~1,500人の日本人が
 居住していた。

 

・1945年の戦後、日本には多数の帰還者を加えた国内人口を支えるだけの経済的基盤がな
 く、食料を充分に供給することもできなかった。そこで政府はラテンアメリカ諸国と条約を結
 び、日本人定住農業移民を送るようになった。

・やがて1980年代になると、南米の経済恐慌と日本のバブル経済の影響で、多数の日系ブラ
 ジル人やペルー人が日本に出稼ぎにやって来る現象が始まる。

・日本は近年、少子化や働き方の変容で一次産業などでは人出不足が問題となってきた。人は少
 なく、ダーティな仕事はしたくないと言う現象である。そこを補ってもらうのが外国からの移
 住や出稼ぎに頼ることになっている。

・今日では、日本から人々が組織的に海外へ移住することはないが、仕事や結婚、留学や商業な
 どの理由で、世界の様々な国へ日本人が渡航している。それにつれて、新たな日本人コミュニ
 ティが、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアなど世界各地に生まれている。

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    ☆ニューカレドニアへ・・・現在は「天国に一番近い島」と言われるが。

日本人移民の功績、120年経てついに認められる
ニューカレドニア

 1892~1919年に推計5575人の日本人がニューカレドニアへ移住した。

 大半は沖縄県、熊本県、福岡県、広島県など西日本の出身で、男性たちの多くは現地女性と結婚し、鉱山労働をやめて仕立業や市場向け菜園、食料品店などの商売を営むようになっていった。

 戦争を経て現在は約8000人の日本人入植者の子孫がいるとされる。

ホテル(ル・メリディアン・ヌメア)にある日本食レストラン

 オーナーは移民の3世で、できれば日本に帰りたいのですが・・・

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   ☆バハマ(カリブ海諸島)に移住

      バハマは左上、フロリダ半島の右、この時9ヵ国全てを回る

 現地ガイド会社は「カリブ・ツアーズ」
 3人の日本人ガイドが住んでいる。
 写真のガイド嬢は愛知県出身で、バハマに魅せられて数年前から住み、
現地人と結婚してガイド業等をしている。
 最近、下記の番組コーディネーターから出演依頼があったそうだが、
条件は波乱万丈が必要との事で、お断りしましたと言う。
 かなり波乱はありましたが、マスコミに乗せて頂くのは抵抗があります。
しかも身内が日本にいるので心配をかけたくありませんと笑いながら仰って
いました。
 世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~
  テレビ東京

 ディレクターの後ろ姿、どことなくお疲れ!

 今回の旅で、テレビ東京の撮影班3人と2日間同じ飛行機、同じホテルで共にした。

 世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~ ユースケサンタマリア他で毎週月曜日7:54からの放送。

 カリブ編の撮影で、「セント・ビンセント」の小島に住む人を撮影の帰りと言う。たった3人である。質問を矢継ぎ早に浴びせる。 

 三人だけで仕事は大丈夫ですか? ええ、何とか。本来は2人だけなのです。
 1人は手伝いでアメリカ在住のコーディネータ(現地との調整役)、そして私はディレクター(取材監督)、あそこにいるのがカメラマンです。予算が少ないので、ディレクターの私は照明係も雑用もするのです。

 今回は日本に帰り、編集を済ませて、次のアラブ首長国、次がイスラエルへと行かねばなりません。疲労がたまった顔で愛想よく応えてくれた。三人共に活力に満ちた顔をしている。

 私は言わねば良いのに、つい余計な事を言ってしまった。テレビ東京さんは昔からお金のかからない番組製作が得意ですね~
昔は売れない役者を連れて来て温泉、グルメ、高級ホテル。グルメも高級ホテルも無料で宣伝代りに提供されたのでしょう?

 いやあ~、良くご存じですね~。 どこかタイトルにふさわしい国と、波乱万丈の方を御存じないですか? ハイ、任せなさい!

 昔、私の現役時代にスタッフの息子さんがテレビ東京に勤務していた。今は幹部になっているかも知れない。盆と正月に帰って来ても、テレビはNHKばかり釘ずけで見ていると言う。国の予算で贅沢に費用をかけられるテレビ局と貧乏局では悩みも多かった事であろう。その後、テレビ東京は大きく舵を切り、旅番組やグルメ番組に重心を移していったようだ。

 今やテレビ局は競うように、朝日放送は「世界の村で発見! こんなところに日本人」、(千原せいじ、千原ジュニア他)
 フジテレビは「世界行ってみたらホントはこんなトコだった」 (庄司孝、隅川恵美ディレクター)
 何れも視聴率が10%程度あり、好評のようだ。

 最近のテレビ放送は多様だ。韓流も下火になり、お笑いも女・子供しか見ないという。それに引き換え世界の国の旅番組が多いようだ。BS放送は特に顕著である。

 それにしても、撮影が簡素で、費用も少なく、視聴率も取れる、登場人物には多分ギャラは不要であろう、この様な番組を考えた仕掛け人はやはり頭が良いと言うべきなのだろう。これは右脳なのか、左脳なのだろうか。それとも水平思考か?

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     ☆ブータン(幸せの国)に移住

         ヤクと廃墟の城郭とチョモラリ(7314m)

シデ・ブータン(トレック会社)の青木さんはブータン人と結婚してトレッキングや登山のガイドを長年営業(右端)

 文字通り「幸せの国でシアワセ」

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   ☆シャモニー(フランス)へ移住

   後方はヨーロッパ最高峰のモンブラン(4810m)とシャモニーの街

 街一番の登山用品店で店長の神田さんはフランスに永住       津田さんはガイドで永住

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   ☆ツェルマット(スイス)に移住

    マッターホルン(4478m)の朝陽

 マッターホルンの麓、ツェルマットでお店を出す西永さん  店長の千葉さんはこの素晴らしい街に永住。優しく応対

   ☆スイスで永眠(永住?)

     
 スイスの山をこよなく愛する「新田次郎」さんは、ユングフラウ三山を見渡せるクライネシャイデックの駅前に墓がある
 これこそ永住である。スイスでは新田さんがスイスに貢献したので墓を許可したそうである。

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   ☆リトアニアに移住

リトアニアは北海道の8割の国土 埼玉出身で琥珀の販売会社を経営(社員は誰もいない)する彼女と乾杯!明るい美人でした。 ツマミは?と云うと、茶目っけたっぷりに「男性の悦び」と云う。それが上記の写真???

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   ☆ポルトガルに移住

ポルトガルはコルクの国、コルク製品、コルクの背広もある。財布や名刺入れは飛ぶように売れる。 リスボンのガイドは河内さん。ブラジル生まれの日系三世。ポルトガルに20年在住。

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     ☆ベルギー移住

ベルギーはビールとチョコレート「ゴディヴァ」が有名  こんな人見たことがない。完全に女装、化粧もしているが男性、ガイドで移住とか。

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   ☆ポーランドに移住

 アウシュビッツ強制収容所、殺害されたユダヤ人の靴の山 「負の世界遺産」を説明する日本人ガイドの中谷剛さん。

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    娘の住む ペルーへ移住

 1899年(明治32年)、日本人790人がペルーに移住。この頃は資源が豊富で景気が良かったので多くの移民を受け入れたペルー、その後先進国や周辺国に戦いで敗れ貧国となる。今では首都リマでは貧民が山の上に住むが電気も水もない。 札幌ススキノでバーを営むママが、商売を止めてリマに住む娘の所へ移住すると言う。私は止めておきなさいと言ったが、老後が不安なのか行ってしまいました。

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  ☆ケープタウン(南アフリカ)に移住

アフリカの最南端ケープタウンの街は綺麗である。テーブルマウンティンの山 大将は沖縄出身、江戸前寿司を沖縄の人が握り、南アフリカで日本人が食べる。少しややこしい。

    食料にしたソテツ

・沖縄は何故海外移住が多いのか

  1. 戦前の沖縄は重税を課されてソテツ以外に食べる物が無いような明治期の「ソテツ地獄」の時代において、移住する事は「権利を獲得すること」、社会の平等化を求める運動だった。
  2. 戦後の多さの主たる理由は沖縄戦だ。沖縄戦で「1平米に爆弾二つぐらい落ちた」という猛烈な爆撃を受けたという。経済的な貧困、基地問題、勤める所もないなどで移住しか選択肢はなかった。

       戦前戦後を通じて、沖縄は苦難の道を歩んでいる。現在も苦労は続く。

・皮肉!海外移住が多かった沖縄に今は日本の他県から人気。移住者が増える。

  1. 2005年ごろから「沖縄移住ブーム」が起こったこと
  2. 東日本大震災後に、福島などから被災者が移住してきたことなども人口増加の原因
  3. 一年中、暖かい場所に住みたいと言う願望

 

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  ☆ルワンダ(アフリカ)に移住&商売

  日本人女性社長「原田桃子」さん奮闘中   ルワンダ・ナッツ㈱

                       報道ステーション2014/08/29   に紹介される。

 ルワンダ・ナッツ㈱の創業者でオーナーは佐藤芳之氏(74歳)、そして社長は若き原田桃子さん
 佐藤さんはケニアで「ケニア・ナッツ㈱」を成功させ、年少6億円、従業員は3,500人、36年間手塩にかけた会社をケニア人に譲渡した。

  そして今度はその技術をルワンダでオーナーとして、今度はルワンダ・ナッツ㈱を創業した。日本人の若い女性、原田桃子さんを社長にして現地人を雇い、ルワンダの企業として将来を期待されている。

 ケニア・ナッツ㈱社長として奮戦中の原田桃子さん。
 御主人はルワンダでバクテリアを利用した公衆衛生会社「オーガニック・ソリューションズ・ルワンダ」で働く、それぞれ期待の星である。

 ルワンダと言えば今から30数年前、ルワンダ紛争で世界に衝撃が走ったことで知られる。まさに負の遺産と言えよう。内戦と言うより、民族同士の大虐殺で120万人以上の尊い命が失われている。

 今は既に平和。復興し「アフリカの奇跡」とまで言われている。

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   ☆イスラエルへ移住

宗教三大聖地。ピアドロローサはキリストが十字架を背負わせられ処刑された場所まで歩かされた道のり。多くの観光客が体験する道のり。

 イスラエルは観光名所多数、特に宗教に関心のある方へ推奨

 当ホームページ管理人の作成したHPは → こちら

 イスラエルは世界で唯一、女性も軍隊に召集される国 現地ガイド業をする西郷さんは九州出身、当地に30年永住

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   ☆コロンビア(南米)に移住

     コロンビアのリゾート地 「カルタヘナ」 とカリブ海

  コロンビアと坪田さんの詳細は 当ホームページ管理人の「コロンビア編」をどうぞ

    ☆コロンビアに移住・・・「日本料理店」

           日本料理店「ワビサビ」 ネーミングが良いですね~

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     ☆メキシコ・カンクンに移住

オーナーは松下電器を55才で早期退職し、この地で日本料理「花いち」を開店した橋本孝好さん、20年を迎える。 カンクンはメキシコのリゾート地、「花いち」に勤めながら永住を期して若者は移住する。

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     ☆ロシアに移住 ・・・ 僕たちも移住!

 

           秋田犬が近年人気  ロシアのフィギュア選手

ザギトワさん秋田犬が欲しいとおねだり、移住しました  プーチン大統領も犬好き、こちらも秋田から移住。シベリアは?

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   ☆移住予備軍

この文章はある時の海外旅行での機内での出来事。 いつもながら数人の若者が乗り合わせる。女性が圧倒的に多いのは活動的なのか? 出来れば海外で住みたい、語学の研修、いろいろな人と出会いたい、見識を深めたい、などなどである。戦前戦後の移住とは相当違う。決死の覚悟というよりロマンを求めての行動にお思える。

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    ☆統計

 時代は変わり、日系人の海外移住人口は約300万人。一方日本に在留する外国人は300万人に及びそうである。

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 あとがき・・・

 戦前戦後の一時期は生活の為、悲壮な覚悟で一家が移住したことが分かる。余りの辛さに日本に戻った方々も多い。資金がない人は涙を呑んで現地で耐えたようだ。

 今日の移民の多くは殆どが気ままな一人旅の様で微笑ましい所がある。感心するのは女性が圧倒的に多く、それも若い。度胸があるとしか思えない。そして現地人と結婚して生活をしている。先進国ならば環境も良いだろうが、途上国はインフラも悪く、電気・水道・食べ物・病院・乗り物もない所が多い。親族が見たら卒倒するだろう。何故だろう?

 高齢者なら足踏みするが、若い人たちはドンドン海外に出ていく。自分は75%の世界を回ってみて日本の有難さがしみじみ判る。緑・水・食べ物・治安・そして道徳心。若者は世界を見てこれから成長するのである。「かわいい子には旅をさせよ!」!とは明言哉。

 最後の方に統計数字を掲載したが、移民・移住(一部出稼ぎも含む)の目的と意義がかなり変容してきたことに気づく。少子化と仕事の内容で現在の日本は、外国人に頼らねば産業が回らなくなってきている。農業も福祉施設も工場も彼らなしでは困るのだ。困った時代である。

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