魅惑のジャズ

 2020年4月、新型コロナで在宅勤務に辟易している現在、とは言っても年中在宅勤務に変わりはないのだが、世間的に生活レベルを合わしているとも云える現状である。

 暇を利用して「癒しのクラシック」編を終えると、今度はジャンルを変えて「魅惑のジャズ」編を作ることにした。
その当時の青春時代を懐かしみひと時心が安らいだ。

 ジャズの概念は、テンポが速くリズム感も高く心ウキウキとさせ、特に黒人プレーヤーが多く特有の大迫力を感じさせる。クラシック音楽とは全く趣が違うところがこれまた良い。

 ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国南部の都市を中心に派生した音楽ジャンル。西洋楽器を用いた高度なヨーロッパ音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と民俗音楽とが融合して生まれたのがジャズである。

 大きく分けてジャズミュージックの特徴は3つあり、アレンジ、オフビート、リズムセクションがキーワードとなっている。またジャズでは4ビートが基本となり、裏泊でリズムをとるオフビートが基本となる。

 「裏泊」とは、音楽で、拍を前半と後半に分けたうちの、後半の部分を意味して俗に用いられる語。例えば、四分の四拍子の曲で「1と2と3と4と…」とリズムを取った時の、「と」の部分が裏拍にあたり、一般的な曲では「弱拍」に一致することが多い。

 先ずは聞いてみよう、あのリズム、絞り出すようなあの声、あの大迫力・・・ 思わずグラスもう一杯!

    ジャズミュージックで使われる楽器と、名プレーヤーたちを列挙してみた。
       プレーヤーはかっての
往年のスターを中心とした。

         サックス、トランペット、ピアノ、ベース、ドラムが主にジャズで演奏される楽器。 

 サックス

  名プレーヤーとして、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、スタン・ゲッツ

 トランペット

  名プレーヤーとして、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、ルイ・アームストロング

 ピアノ
  
名プレーヤーとして、ビル・エヴァンスアブドゥーラ・イブラヒム、キース・ジャレット、 デューク・エリントン 

 ベース

  名プレーヤーとして、チャールズ・ミンガス、ポール・チェンバース

 ドラム

  名プレーヤーとして、バディ・リッチ、アート・ブレイキー

 楽団&シンガー

  ベニー・グットマン、グレン・ミラー、フランク・シナトラ


  ☆
ジャズの名曲選

・チャーリー・パーカー    1920~1955年 34才没   サックス奏者

  ・「モダン・ジャズ(ビバップ)」を創生したサックスプレイヤー。

  ・1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。

  ・若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯
  
 を送った。1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになった。衰弱により心不全で早世した。

   亡くなった折、ニューヨークの至る所の壁には彼の早過ぎる死を惜しんだファンたちが「バードは生きて
   い
る」と落書きをした。

       動画 チャーリー・パーカー/(現代ジャズへの進化)

 

・ジョン・コルトレーン      1926~1967年 40才没   サックス奏者

  ・アメリカ、ノースカロライナ州生まれのモダンジャズを代表するサックスプレーヤー。

 ・1940年代にチャーリー・パーカーらが確立した4ビート・バップ・ジャズのアドリブ方法論を、現代的に
  再構築した功績は大きい。

 ・1955年に、マイルス・デイヴィスのグループに入る。

 ・My Favorite Thingsの原曲は人気ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のうちの1曲。コルト
  レーンらがカバーしたことで、ジャズの定番となった1曲となっている。そしてこの曲は、JRのCMでも使
  われており、「そうだ、京都へ行こう」のキャッチフレーズでおなじみのCMソングでもある。1度は耳に
  したことがあるという方も多い。ソプラノ・サックスを使用したメロディックな音色が、絶妙な名曲とな
  っている。

  ・20世紀のジャズの巨人の中の1人となった。

  ・1955年に、マイルス・デイヴィスのグループに入る。マイルスはすでにジャズの大スターであったた
   め、マイルス・バンドに抜擢された。ピアニストのアリス・コルトレーンが妻。

       動画   My Favorite Things  

スタン・ゲッツ    1927~1991 64才没    サックス奏者

 アメリカ合衆国出身の白人ジャズ・サクソフォーン奏者。特にテナー・サックスの名手で、卓越したテクニ
  ックとクールなサウンドで人気を博した。

 ・ペンシルベニア州フィラデルフィアのハーレムでユダヤ系ウクライナ人移民の家庭に生まれる。小学6年生
  の時に、試験の成績と知能指数の高さによって、特別優秀な生徒を集めたプログラムに編入された。母から
  「一家が一切れの肉しか夕食に用意できなかった時はスタンが食べることになる」と宣言され、父や弟が豆
  やポテトを食べている時、スタンは家族で唯一ラムチョップやハンバーガーを食べていた。スタンは自分だ
  けがそんな特典を与えられることにたまらなく罪悪感を覚え、食事に関するこの思い出は生涯にわたって彼
  を苦しめることになった

 ・音楽に関しては写真記憶的な能力を備えていた。そして絶対的な音感と、正確なリズム感を持っていた。通
  常の人にはふつう見受けられない音楽的才能を身につけていた。父は息子の懇願に耳を傾け、昼食代を削
  って35ドルを貯め、1940年スタン13歳の時に中古のアルト・サックスを買ってあげた。1941年、14才頃
  プロとしてデビュー。

 ・プロとして成功していくが、しかし、一方で麻薬にも手を染めるようになり、1954年には注射用のモルヒ
  ネ欲しさにシアトルの薬局で武装強盗未遂事件を起こして逮捕され、ロサンゼルス郡南カリフォルニア大学
  医療センターへ収容されてしまう。

  その後、麻薬に代わってアルコール依存に悩まされつつも演奏活動を精力的に続け、癌との闘病生活を続け
  た末に1991年肝臓癌により亡くなった。

       代表曲   Stan Getz - Split Kick (1951)  

・クリフォード・ブラウン    1930~1956年 25才没   トランペット奏者

 ・アメリカ合衆国出身のジャズミュージシャン(トランペット奏者)。彼の高度なテクニックと豊かな音色は
  チャーリー・パーカーら一流のミュージシャンから高い評価を受けた。また当時のジャズ界に蔓延してい
  た酒やドラッグには一切手を付けず、品行方正で誠実な人柄であったといわれている。自動車事故の巻き
  添えにより若干25歳で急逝。

 ・父が持っていたトランペットに興味を示し、12歳の頃から吹き始める。1948年、デラウェア州立大数学
  専攻入学、1949年、メリーランド州立大音楽科専攻転校。学生バンドなどで演奏活動をしていた頃、チャ
  ーリー・パーカーと共演。チャーリーはクリフォードの演奏に感銘を受け、アート・ブレイキーにクリフ
  ォードを推薦した。

       代表曲   Clifford Brown - Memories of You 

・マイルス・デイヴィス        1926~1991年  65才没  トランペット奏者

 ・マイルス・デイヴィスはアメリカ合衆国出身のジャズトランペット奏者、作曲家、編曲家。アルバム『ウ
  ォーキン』『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』など多くの作品で知られている。

 ・「モダン・ジャズの帝王」、ジャズの巨人の一人。

 ・祖父はアーカンソー州に広い土地を持ち、父は歯科医、母は音楽の教師という裕福な環境で育った。13歳
  の誕生日に父親からトランペットをプレゼントされ、演奏を始める。

 ・チャーリー・パーカーと1年間同じ部屋で暮らしながら演奏を共にする。

 ・時代に応じて様々な音楽性を見せ、アメリカのジャズ界を牽引した。

 ・マイルスのトランペット・プレイは、ミュート(弱音機)を初めて使い、独特の奏法を編み出した。

 ・マイルスは、アメリカにおける人種差別問題には常に批判的であった。マイルス自身も、人種差別の被害
  にあった経験があった。しかし、音楽性の追求のためには人種は関係ないというスタンスを貫き通した。

       代表曲      So What                 

・ルイ・アームストロング     1901~1971年、69才没 トランペット奏者

 ・サッチモ という愛称で親しまれた、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人。サッチモという
  愛称は(がま口のような口)というのをイギリス人記者が聞き違えたとする説や、(なんて口だ!)から
  来たとする説などがある。だみ声の歌唱が多くのフアンに支持されている。

 ・ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区で育つ。子供の頃、祭りに浮か
  れ、ピストルを発砲してしまい、少年院に送られた。その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏する
  ことになったのが、楽器との最初の出会いとなる。

 ・第二次世界大戦当時、慰問公演の時でさえ、当時のアメリカでは、公演先でも白人と同じホテルへ泊まれ
  ない他、劇場の入り口さえ別々というような差別を受け続けた。

 ・アームストロングは四度結婚し、子供たちを愛したが、実子はなかった。

 ・アームストロングは明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマ的かつ独創的な演奏者。

 ・トランペット奏者だが歌手としても有名。ジャズ界でも稀であるほどの天才トランペット奏者。

 ・歌の方でもスキャット(「ダバダバ」「ドゥビドゥビ」「パヤパヤ」)といったような手法を広めたことで
  知られる。マイルス・デイヴィスは「アームストロングは喋りまでジャズになっている」と語っている。

 ・LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれてい
  る。

 

  代表曲

        ・「この素晴らしき世界」   

       ・「バラ色の人生    

       ・「キッス・オブ・ファイア 

       ・「ハロー・ドーリー!」   

・ビル・エヴァンス     1929~1980年 51才没    ピアニスト

 ・父は相当な身分を持つウェールズ(イギリス)系の人物であった。

 ・マイルス・デイヴィスと共演が多い。
 ・1950年の大学卒業後、1951年から召集を受けてアメリカ陸軍での兵役を強いられた。軍役時代からの
  ヘロインのために
体も蝕まれ、金銭的にも余裕はなかった。

 ・1959年に、エヴァンスはドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに
  迎え、歴史に残るピアノトリオ(ファーストトリオ)を結成する。

 ・アルバムのタイトル曲にもなっている「ワルツ・フォー・デビー」は、エヴァンス自身が作曲したワル
  ツの名曲。

           代表曲   Waltz For Debby  

・アブドゥーラ・イブラヒム    1934年生まれ 86才   ピアニスト

 ・南アフリカ人でケープタウン出身のピアニスト

 ・イブラヒムはアルバム『デューク・エリントン・プレゼンツ・ダラー・ブランド・トリオ』を録音する
  に至った。

 ・イブラヒムはソロ・ピアニストとして曲間の休止を含まないで連続して演奏するスタイルの魅惑的なコ
  ンサートを行なってきた。

 ・70年代入ると、アパルトヘイトによる人種差別や厳しい政治的な状況により亡命生活も余儀なくさ
  れ、祖国の南アフリカを離れて、自らのルーツと表現を見つめながら、その音楽世界を極めてきた。

 ・1990年代に南アフリカへ戻ってからはオーケストラとの共演も多く、ネルソン・マンデラ大統領の就
  任時にも演奏している。

          代表曲    マネンバーグ 

 

・キース・ジャレット  1945年生まれ、74才 白人  ピアノ奏者

 ・代表曲の「星に願いを」はディズニー映画「キノピオ」でも使われていることもあり、世界中の老若男
  女の方に愛されている名曲。

  ・演奏楽器もピアノにとどまらず、ソプラノ・サックス、パーカッション、ハープシコード、リコーダー
  など多岐にわたる。メロディーの美しさもさることながら、中腰の姿勢で、時折うめき声を出しながら
  ピアノを弾く姿が印象的。

 ・3歳頃よりピアノのレッスンを受ける。幼い頃から音楽の才能を発揮し、8歳の頃にはプロのピアニスト
  として自作の曲をコンサートで演奏するという経験をしている。

 ・1965年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーにジョン・ヒックスの後任として加入。

 ・1970年、マイルス・デイヴィスのバンドに参加。

 ・聴衆に高度なマナーを求めることでも有名で、2005年の東京公演ではコンサートを一時中断して説教
  をする一幕もあった。

        代表曲

                「星に願いを」   

              『星影のステラ』  

・チャールズ・ミンガス    1922~1979  56才没   ベース

 ・チャールス・ミンガスは唯一無二のスタイルを持つ最高のベーシストで、ビバップ時代の重要バン
  ド・リーダーとなったが、ピアノも弾ける重要コンポーザーだったという点で、史上最高のジャズ・
  ベーシストの中でも異色の存在である。

 ・アリゾナ州で生まれたミンガスが最初に演奏したのはチェロだが、その後ティーンエイジャーになる
  と、ダブルベースの天才となった。人種隔離反対運動でも有名。

 ・キャリア初期にはルイ・アームストロングやライネル・ハンプトンと共演していたが、その後チャー
  リー・パーカーと出会い、ビバップに転向した。

 ・50年代には自身のバンドを率い、デビュー・レコードというレーベルも主宰すると、注目すべきコン
  ポーザー、レコーディング・アーティストとして頭角を現した。また、そのプレイ・スタイルは、単
  に拍子を取るだけの役割からベースを開放し、ベースがメロディアスな可能性を持つ表情豊かなソロ
  楽器であることを実証した。

        代表曲

          チャールズ・ミンガス / 直立猿人 

ポール・チェンバース    1935~1965  33歳没  ベース

 ・ポール・チェンバースは、アメリカ・ピッツバーグ出身のジャズ・ベーシスト。

 ・ニューヨークのジョージ・ウォーリントン楽団を経て、マイルス・デイヴィスの第一期クインテットメ
  ンバーになる。その他、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズといったジャズ・ジャイアンツとも
  数々の名演を残した

 ・ポール・チェンバースの特徴は、なんといっても管楽器で培ったメロディアスなベースラインを駆使し
  たアドリブソロである。そんな彼の特徴が惜しげもなく表現されている代表作「ベース・オン・トッ
  プ」はジャズ史に残る名盤として語り継がれている。

 ・大量の飲酒や麻薬の常習者であったチェンバーズは、1969年に肺結核で死去した。 

 

          代表作 ベース・オン・トップ  

・バディ・リッチ       1917~1987年  69才没  ドラム

 ・アメリカ合衆国のジャズ・ドラマー。ユダヤ系アメリカ人。

 ・非常に細かく刻んだ音符を、速く正確に、しかも長時間叩き続けるという超絶技巧を得意とした。

 ・アメリカではビッグバンド(大人数バンド)ジャズの新境地を開いた人物、およびビバップ(自由な即
  興演奏)の誕生に協力したジャズ・マンとして、ジャズ・ファンから尊敬されている。

 ・1才の時、父親はリッチがスプーンで正確なリズムを刻んでいることに気付き、1歳よりドラムスティ
  ックを持たせ、1歳半でヴォードヴィル(演劇場)にて演奏し始めた。

 

           Buddy Rich/バディリッチ/Solo/ソロ/The Hague  

・アート・ブレイキー     1919年~1990年 71才没  ドラム

 ・アメリカ合衆国のジャズドラマー。

 ・「アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」は彼が率いた名門バンド。

 ・「ナイアガラ・ロール」と呼ばれる特徴的なドラミング奏法で知られる。

 ・親日家として知られる。1961年の初来日以降、何度も日本で演奏を行った。

 ・メッセンジャーズにも'70年代以降鈴木良雄、鈴木勲等の日本人がレギュラーまたは客演で加わってい
  た。

 ・かつての妻の一人も日本人であった。

 ・来日時には、日本人ドラマーのジョージ川口、白木秀雄らともドラム合戦を繰り広げた。

 ・演奏終了後、数人の少女たちがドラムをかかえて舞台裏へ突進していき、たどたどしい英語で、自分た
  ちが鼓笛隊メンバーであることを話した。『ぜひ教えてほしい』。あまりの熱心さに、氏はその場で直
  ちに教え始めたエピソードがある。

 代表作

 "Moanin'"(モーニン)/アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ

 "A Night in Tunisia"(チュニジアの夜)/アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ

        ・"A Night at Birdland Vol.1"(バードランドの夜 Vol.1         

    ・"A Night at Birdland Vol.2"(バードランドの夜 Vol.2)

    ・"The Freedom Rider"(ザ・フリーダムライダー)

    ・"The Big Beat"(ザ・ビッグ・ビート)

・デューク・エリントン    1899~1974年  75才没   オーケストラリーダー

 ・ワシントンD.C.出身のジャズの作曲家、ピアノ奏者、オーケストラリーダー。

 ・20世紀最大のジャズ・ポピュラー界の音楽家と言われている。 

 ・「デューク(公爵)」というニックネームは、子供の頃から自然な優雅さ、身嗜みを身に付けきちんと
  した服装をしていたことから、親友エドガー・マッケントリーによって付けられた。

 2009年、コロンビア特別区から、エリントンとピアノをあしらった25セント記念硬貨が発行される。
  アフリカ系アメリカ人が硬貨に描かれるのはこれがはじめて。

    ・代表作

           ・A列車で行こう   

       《ジャズフルバンド》キャラバン【Caravan】  

   ☆楽団&シンガー

      〇 ベニー・グットマン(楽団代表・クラリネット奏者)

                代表曲 『シング・シング・シング』 

 ・ベニー・グットマンは1909~1986年に活躍(77才没)、クラリネット奏者、バンドリーダー、スウィング・
  ジャズの代表的存在として知られる。

 ・1932年には自分の楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演。1938年にはカーネギー・ホールで最初のジャ
  ズ・コンサートを行いスウィングの王様と称されるに至る。

 〇グレン・ミラー(楽団代表・トロンボーン奏者)

      

       代表曲 『イン・ザ・ムード』

 ・グレン・ミラーは1904~1944に活躍(40才没)、アメリカのジャズ
  ミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バン
  ドリーダー)。1937年、グレン・ミラー・オーケストラを結成。

 ・カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン
  等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンドの代表奏者に挙げられ
  る。

 ・1944年、イギリスへの慰問演奏中に飛行機事故で44歳の若さで亡
  くなったが、楽団は残されたメンバーが引き継いで現在まで活躍し
  ている。日本にも毎年のように来演している人気楽団である。

   〇 フランク・シナトラ(歌手・俳優)

    代表曲『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』

  

 ・1915~1998年(82才没)、アメリカのエンターテイナー、ポピュラ
  ー歌手、ジャズ歌手、俳優。

 ・歌唱法は小さな声で歌い、ささやきに近い息漏れ声、優しさ、柔ら
  かさを駆使した歌い方が特に多くの女性に支持された。

 ・ビング・クロスビーやエルヴィス・プレスリーなどと並び、20世紀
  アメリカを代表するエンターテイナーの一人である

 ・イタリア系マフィア(ゴッドファーザー)との関係、数々のトラブ
  ル・メーカー、不倫やプレィボーイ、シナトラ一家、ケネディとの
  関係、多くの政治家・・・話題に事欠かない人物であった。

 

困った、困った~

2020年は困った年だ。
コロナ星人が地球に攻めてきて、77億人の
人類が右往左往を余儀なくされている。

3密がダメ、外出もダメ、遊びもダメ・・・
「癒しのクラシック」を作り、仕方ない
ので孤独酒を味わうことになった。

次に「魅惑のジャズ」を作り、人生(?)を
楽しむ。相棒はニャンとワンだけ。

三部作目を考えた。
「世界の民族音楽」しばし退屈はしない
 だろう。ニヤンとワンと酒で乗り切る。

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