海外旅行で150ヵ国を巡り、クラシックやジャズも酒場でたくさん聞いてきた。先進国では舞台が整っているので雰囲気もすこぶる良い。

 イタリアでは、酒場のテーブルまで歌手が近づいてきてくれサービスしてくれる。されどカンツォーネの大迫力には圧倒される。鼓膜が壊れそうなのだ。フランスは優しくシャンソンを聞かせてくれる。

 一方、発展途上国は素朴である。民族音楽はあるが、楽器や機械などは全くない。手を叩いたり、足で地面を力強く蹴ったり、飛んだり、跳ねたり。これも民族の音楽であり文化なのである。それでは幸せとは・・・一概に決められない。目を見張ることが多い、世界の音楽がそこにある。

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 ☆スペイン・・・フラメンコ

    スペイン・グラナダの洞窟フラメンコショー

・スペイン南部に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となってい
 る。フラメンコの歴史と発展にはスペインジプシー(移動型民族)が重要
 な役割を果たしている。ジプシーにはイスラム教徒が多い。

・フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が
 中心であった。この時期にはギターが使用されることも少なく、手拍子や
 掛け声(ハレオ)による伴奏が主であった。ハレオの掛け声は「オレー」
 や「アッサー」。

・後に飲食店や洞窟で演奏され、ギターを中心に歌・踊りの現代演奏とな
 る。

・基本的に観客席からは手拍子(パルマ)を打たないほうが良いと言われ
 る。リズムが難しく、曲調によってリズムがさまざまに変化するので、素
 人が手拍子を打つとかえって音楽の妨げになってしまうというのが、その
 理由である。逆に掛け声(ハレオ)は歓迎される。

  かつてはイベリア半島(ポルトガル、スペインの地域)最後のイスラム王朝ナスル朝グラナダ王国の首都であった。

 ナスル朝は13世紀から15世紀末まで存在していたイスラム王朝1492年、この王朝がスペイン帝国に征服されたことで、キリスト教勢力によるレコンキスタ(再征服運動)が完了した。

 イスラム王朝の栄華を誇る「アルハンブラ宮殿」が保存されており観光地として人気がある。
・YouTube  「アルハンブラの思い出」

・YouTube  スペイン・コルドバ・フラメンコ 

   ☆フラメンコ 人気曲

  

・ニーニャ・パストーリ(Niña Pastori)   1978年生まれ

現在のフラメンコ・シーンをリードする最重要カンタオーラNIÑA PASTORIの最新作!
 NIÑA PASTORI(ニーニャ・パストーリ)は、1978年スペイン南部カディスのサンフェル
 ナンド出身で、現在28歳。現在のカンタオーラの中でもっとも重要なアーティストの一
 人。また、もっとも商業的な成功を収めている。

母のフラメンコ・アートの教えにより、幼少の頃から歌い始める。そして、わずか7歳でサ
 ン・フェルナンドのコンクールに出場し見事優勝。この時から、才能と未来を担うカンタオ
 ーラとして、最高のアーティスト達に囲まれて育つこととなる。

18歳を迎えた1996年に「Eres Luz」でデビュー。「Cartita de Amor」等が大ヒットし、一
 躍人気スターとなる。ブレイク後、彼女の音楽スタイルはさらに進化、変貌する。伝統的な
 フラメンコと、今の時代のポップ・ミュージックの融合を図ったのである。‘若くポップで
 フラメンコ’そのスタイルとイメージが、彼女をスペイン音楽界の有望な若手へと押し上げ
 たのだ。

      YouTube Desde la Azotea Niña Pastori

・パコ・ルーシア(Paco de Lucia 1947~2014  66歳没

スペインのギタリスト。フラメンコやジャズの分野で活躍した。父や2人の兄もギターが
 弾け、パコもギターを習う。

・1973年にリリースされたEntre dos aguas(邦題・二筋の川)』のセールス的成功と、収
 録曲「二筋の川」がスペインのヒット・チャートで第1位となったことにより、スペインのみ
 ならず広くパコの名前は知られることとなる。

      YouTube Entre dos aguas Paco de Lucia

・ケタマ(Ketama)

・スペインを代表する伝説のバンド、ケタマ。

・彼らはフラメンコに新時代の風を巻き起こしたバンド。彼らが登場するまでのフラメンコは
 トラディショナルなものが多くを占めていた。ケタマはそんなフラメンコにR&Bやジャズな
 ど、さまざまな音楽ジャンルを加えた「ヌエボ・フラメンコ」という、それまでにはなかっ
 た新しいフラメンコのジャンルを作り出した。

・当初は伝統を重んじるスペイン人から批判が多かったものの、現在はヌエボ・フラメンコの
 パイオニアとして、さまざまなアーティストからリスペクトされている。

 Mientemeとは「私に嘘をつく」(和訳)

      YouTube Mienteme Ketama 

 
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  ☆イタリア・・・カンツォーネ

・一般にイタリアのポピュラーソングをさす。
・フランスのシャンソンにあたるものであるが,イタリアの気候風土を反映して,メ
 ロディーは明るく単純で,内容も率直に表現された恋の歌が多い。曲の構成は2,
 4,8小節と倍ごとに進行し,ほとんどが2部形式,3部形式をとる。 1940年代以降
 の曲にはこの前にストロファという語りの部分のついたものが多い。

・古くはナポリ民謡が有名だが,カンツォーネが現在のように全世界に知られるにい
 たったのは,1951年にサンレモ音楽祭,53年にナポリ歌謡祭が始まったことによ
 るところが大きい。

 

     〇カンツォーネの有名曲ベスト&歌手

  

マリオ・デル・モナコ    1915~1982 67才没

 テノール歌手。1915年フィレンツェ生まれ。 
 13歳からヴァイオリンを学び、16歳から本格的に声楽を学ぶ。
 後にペーザロ音楽院のメロッキに師事。
 卒業後はレコードなどを通じてほとんど独学で発声とオペラ表現を学んだ 。

    YouTube  オー・ソレ・ミオ 

・ルチアーノ・パヴァロッティ 1935~2007  71才没  

 レコード・セールス1億枚!
 世界で最も売れたクラシック・ヴォーカリストとして知られるパヴァロッティはイタ
 リア、モデナ生まれ。


 輝かしい歌声から“キング・オブ・ハイC”と讃えられた20世紀最大のテノール歌手。

 文字通りのスーパースターで、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴらと共に結成
 した「三大テノール」のひとりとして、幅広い人気を誇った。「神に祝福された声」
 と評されたイタリアの空を思わせる明るく豊かな美声は世界中の人々から愛された。

    YouTube  帰れソレントへ 

   

・エンリコカルーソ       1873~1921 48才没

 テノール歌手。イタリア生まれ。1894年ナポリのベリーニ劇場でデビュー。
 1902年にネリー・メルバと共演したプッチーニの『ラ・ボエーム』で人気が出てスタ
 ーとなる。03年にメトロポリタン歌劇場で米国デビュー。以降毎年出演し、ヨーロッ
 パ各地でも精力的に活躍した。

 レパートリーの広さも特筆すべきで、その輝かしい高音と豊かな声量、優れた演技力
 で一世を風靡した。イタリアが生んだ最高の名テノールといわれている。

    YouTube   サンタ・ルチア

 その他 有名曲  YouTube

        ・フニクリ・フニクラ 
        ・忘れな草(私を忘れないで) Non ti scordar di me.

        ・悲しみのソレアード Soleado
        ・マリア・マリ Maria, Mari.

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 ☆フランス・・・シャンソン

・シャンソンは、フランス語で歌の意味である。なおイタリア音楽のカンツォーネとは
 元々の語源は同じである。

・シャンソンでは、曲よりもむしろ歌詞が重要視され、物語風の内容をもつ歌が多い。歌
 詞は日常生活で使われるようなこと
ばを用い、ときには隠語(アルゴ)を交えてつづら
 れる。歌手は、声のよしあしや音楽的な正確さよりも、その歌をどのように解釈し、個
 性的な表現で聞き手に伝えるかという点(ディクション=語り方)を評価される。

・シャンソンの源は、中世の宗教的な伝道歌や、吟遊詩人の歌にまでさかのぼることがで
 きる。やがて中世が終わってルネサン
スが訪れ、パリが名実ともにフランスの中心とし
 て栄え始めるとともに、シャンソンの主権は民衆の手に移る。

・17世紀初め、セーヌ川に架けられたポン・ヌフ(新橋)やその周辺には店が建ち並び、
 集まった人々を前にして、大道歌手た
ちが政府の高官や貴族を風刺した歌を歌って喝采
 を博した。彼らこそ、歌を職業とする最初のシャンソン歌手であったといえる。

・キャバレーと並んでシャンソンの発達に貢献したのがカフェ、その後ミュージックホー
 ルへ。やがてはステージだけでなく、
レコード、放送、映画といった媒体を活用して、
 空前の人気をかちとった。

   〇シャンソン有名歌手

・イブ・モンタン 1921~1991 70才没

・イタリア出身でフランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。

・農民の子としてイタリアで生まれた。母は敬虔なカトリック教徒であった
 が、父が強固な共産主義支持者であったため、当時台頭してきたムッソリー
 ニのファシスト政権を嫌い、1923年に家族でフランスに移住した。

・次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944年にエディット・ピ
 アフに見出され、ピアフはモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の
 関係は数年の間続いた。

・1946年に出演した『夜の門』で、主題歌の「枯葉」を歌ってヒットさせ
 た。

・モンタンの浮気がスキャンダルになったことが何度もあったが、マリリン・
 モンロー(『恋をしましょう』(1960年)で共演)の時は、妻のシニョレ
 が自殺未遂を起こしている。

   YouTube 枯葉- イブ・モンタン

・アダモ      1943年生まれ   76才

・イタリアで生まれたベルギーの作曲家、歌手。フランスでの活躍が多い。

・パリを離れ、1963年に「サン・トワ・マミー」が最初のヒット曲になっ
 た。続いて「雪が降る」(1963年)、「夢の中に君がいる」、「インシャ
 ラー」とヒットが続いた。

・アダモの曲は、世界各地でヒットし、様々な言語で自分の歌を歌った(イタ
 リア語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、日本語、ポルトガル語、トル
 コ語)。

・日本で大きくヒットし、彼の曲は大きな反響をよんだ。来日公演も数多く行
 っている。

      YouTube 雪が降る- アダモ

エディット・ピアフ  1915~1963  47才没

・フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。

・両親は貧しく幼いエディットを養う経済的な余裕がなかった。14歳の
 時、大道芸をする父と行動を共にする。その後父に反発し、彼女は16歳で御
 用聞きの少年と恋に落ちまもなく子供を産んでいるが、その子は幼くして亡
 くなる。

・20歳の時、ナイトクラブで歌うことになり、ヨーロッパ、アメリカ、南ア
 メリカで公演旅行を行った。

・恋愛、結婚を繰り返し、イブ・モンタン、ジルベール・ベコーなどの多く
 の歌手を見出して育てた。

・葬儀には無数の死を悼む人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔
 意を表して休業し喪に服した。墓地での葬儀は40,000人以上のファンで混
 雑した。シャルル・アズナブールは第二次世界大戦後、パリの交通が完全に
 ストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。

・今日、ピアフはフランスで最も偉大な歌手の一人として記憶され、尊敬され
 ている。フランスではいまだに彼女のレコードが売れ続けている。彼女の生
 涯は悲劇的な私生活と一連の名声、そしてステージ上で轟くような力を備え
 た声と華奢で小さな姿がコントラストとして現れたものであった。

    YouTube  愛の讃歌 エディット・ピアフ

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  ☆ポルトガル~ファド

・ファドは、ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、ま
 たは宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を
 表すのは珍しい。

・レストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギターと現
 地ではヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター、(時には低音ギタ
 ー(ヴィオラ・バイショ)が加わる場合もある)で伴奏される。

・ファドは大衆的な場所から自然に生まれたもので、現地の人にとっ
 ては生活の一部ともいえる音楽である。演奏の仕方から、暗く悲し
 いものだと思われがちだが、実際は我が町を賛美したものや、うわ
 さ話など明るく陽気なものが多く、皮肉を交えたようなファドも数
 多く存在する。

アマリア・ロドリゲス  1920~1999  79才没   

・ポルトガルの歌手、女優である。"ファドの女王"として知られる。
・少女期は貧しい生活を余儀なくされた。しかし将来の大歌手は幼少期からその片
 鱗を見せており、良く歌を覚え歌うのも上
手かったという。やがて一家の家計を
 支えるため様々な仕事に就いたが、18歳の時に一流のナイトクラブ「ファドの
 家」に
出演し反響を呼んだ

・1999年に79歳で死去した際、ポルトガルは3日間の喪に服した。2001年にはリ
 スボンのサンタ・エングラシア教会に移送され、エンリケ航海王子、ヴァスコ・
 ダ・ガマらとともに、国民的英雄10人の一人として眠っている。

    YouTube  暗いはしけ 

カルロス・ド・カルモ   1939~  現在81才

・ポルトガルのシナトラ。ファド界のゴッドファーザー、と言われるカルロス・
 ド・カルモは芸能生活50周年を祝った。70歳を超えているが、特に有名な現役
 歌手。

    YouTube  リスボンの女の子

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   ☆スイス~ヨーデル

ヨーデルとは、ファルセット(裏声)と低音域の
 胸声(地声)を繰り返し切り換えて歌う、アルプ
 ス地方(スイス・イタリア・ドイツ・フランス・
 オーストリア)など発祥の歌唱法である。

・ヨーデルはヨーロッパのアルプス山麓の牧童が牛
 を集めたり、仲間と呼び交わすのに使用した、独
 特の裏声が元になっている。

・スイスがヨーデルに酔いしれるとき

2014年、何千人もの人が7月3日から6日にかけてスイス東部の町ダボスに詰めかける。ダボスと言えば、世界の大物政治家やビジネス界の代表が集まる世界経済フォーラム(WEF)の開催地として有名だが、彼らの目的はほかにある。3年に1度の連邦ヨーデルフェストが、今年はダボスで開かれるのだ。

・スイスヨーデル協会主催の連邦ヨーデルフェストは、会場の町が毎回異なる。2014年の会場となったダボスには、世界中からアーティストがやって来る。ヨーデルの歌い手以外にも、旗回し(旗投げ)やアルプホルン奏者も参加する。

  YouTube スイスがヨーデルに酔いしれるとき

・アルプホルンの演奏 Swiss Alphorn 

 アルプホルンは、金管楽器の一種で、木製円錐管にカップ状のマウスピースを付けて演奏する。スイスなどの山地の住民によって用いられる。

今やスイスの国家的楽器となったアルプホルンは、アルプスで牛飼いたちがコミュニケーションのために吹いていた「笛」だった。

「アルプ(Alp)」とは「農場」という意味。その複数形が「アルペン(Alpen)」で、牛たちが夏を過ごす山の上の牧草地を表す。

アルプホルン(Alphorn)は、その高山牧草地の間で羊飼いや牛飼いの牧夫や牧童がお互いの意思伝達や谷底に住む家族とのコミュニケーションのために編み出した道具だった。

アルプホルンは、牛を牧草地から畜舎の搾乳地への呼び戻す合図としても使われていた。

   YouTube  アルプホルン

・スイスのヨーデル・クイーンが歌うヨーデル・メドレー

スイスのトップクラスのヨーデル歌手、Melanie Oesch。
 一緒に歌っているのはお母さんで、バンドはみんな家族。
 隣のオーストリアにも家族のグループがいた。

    YouTube  クイーンが歌う

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  ☆イギリス~民謡

 イギリスには世界に誇れるような伝統音楽が見当たらない。芸術、音楽、絵画、建築などの分野においては、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリアが有名。

 クラシックはイギリスを除いたドイツ、フランス、イタリアが中心で、シューベルト、リスト、メンデルスゾーン、ショパン、ベートーベン、モーツアルト、ハイドンなどがいる。

 なぜかというと、イギリスは世界の中でも最も多く戦争をしてきた国であるからということ。つまり年中戦争をしてきたために、文化を強く育む暇がなかったのではないかということが言われている。

 しかし大衆文化はほとんど育たなかったが、騎士の戦いの勇壮さを称え歌った「威風堂々」という行進曲がイギリスを象徴した、いわゆる軍歌である。

 だが「グリーンスリーブス」や「三羽のカラス」などの有名なイギリス民謡はある。誰もが知っているスコットランド民謡の「アニーローリー」や「蛍の光」、アイルランド民謡の「ダニーボーイ」は、トルバドゥールにまつわるフォークソングである。とはいえイギリスにはほとんど大衆文化がなく、ビートルズが登場する以前は、輝かしい音楽の歴史を持っているとは言えなかった。英国の分身であるアメリカも黒人が虐げられて唄ったジャズ以前の歌はあまり見当たらない。

 後にイギリスとアメリカの若者の間に流行したロックは傑出したが・・・

  「七つの海を支配した大英帝国」

    

イギリスの植民地:アメリカ、カナダ、インド、オーストラリア、アフリカ諸国など

  YouTube 行進曲「威風堂々」

 スコットランドの国民的な歌として愛されている「Auld Lang Syne」は、あらゆる場面で歌われる。
その一つに大晦日がある。大晦日のことを、スコットランドではHogmanay(ホグマネイ)という。

 新年を迎えるときに、人々が輪になって手をつなぎ、「Auld Lang Syne」を歌う。フォークダンスのように、中心に集まったり離れたりもするし、手を交差させてつなぐこともある。家族や友人とも歌うが、知らない人とでも手をつなぐと、何だか楽しく、一体感が出て、心が通い合う気がしする。

だから、別れの歌というよりも、節目節目で歌うものといった方がいいかもしれない。

  ・YouTube オールド・ラング・サイン」(蛍の光)

アニーローリーは、代表的なスコットランド民謡。

 スコットランド中に知られた美人だったといわれている。
 1854年クリミア戦争で、未亡人孤児となった人たちへの慈善活動のために出された歌集にこれが載せられたことから、やがて軍楽隊も演奏するようになり広く知られるようになった。
 戦地の兵士たちもこの歌を口ずさみ、故郷にある大切な人をしのんだという。 

  ・YouTube  アニーローリー 

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  ☆アメリカ・・・ジャズ

  当ホームページ管理人作成の魅惑のジャズを参照下さい。

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    ☆ドイツ・・・クラシック

・ドイツで音楽と言えばクラシック、いわゆる古典音楽である。
・キリスト教と共に宗教音楽やオペラの誕生、宮廷音楽としてクラシックの華がここドイツで
 咲いた。音楽が芸術として見られたのである。

・世界に名だたるドイツ出身の作曲家はバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾ
 ーン、ワーグナー、ヘンデル、
シューマン・・・

 

・クラシックについては、
  当ホームページ管理人作成の
癒しのクラシックを参照下さい。

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  ☆ロシア・・・ロシア民謡

 ロシア民謡は、本来的にはロシアの民俗・伝承に基づく叙情歌をさすが、当初は農村で歌われてきた「叙情歌」をさし、その後西欧文化との融合によって、多様な社会層が派生し、19世紀後半には労働者層による「仕事の歌」が重要なジャンルとなり、20世紀初頭の「革命歌」は、こうした労働歌から生まれた。

 金持ちに恋人を奪われた若い馭者(ぎょしゃ)の悲しみを歌った哀切な歌である。

  ・YouTube トロイカ

 ソ連時代の戦時懐メロ歌謡の代表曲のひとつ。

  YouTube  「ともしび」

 1938年に作られたロシアの戦争歌謡の代表曲。
 カチューシャという娘が川の岸辺で恋人を思って歌う姿を描いた歌曲である。

 YouTube カチューシャ」 

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  ☆ブラジル・・・サンバ

・サンバは、代表的なブラジル音楽の一つである。ブラジ
 ルでは毎年12月2日をサンバの日と定められている。

・もともとは黒人を中心とする「奴隷労働者階級の音楽」
 ゆえに、歌われる内容といえば、生活そのものを題材と
 したもの、人種差別や政治体制への批判などが中心であ
 ったが、その後、楽器や音楽だけでなく言語や特定の詩
 の形式といったポルトガル(ブラジルはポルトガルの植民
 地であった)の文化的要素が融合し、リズムや踊り方が変
 化した。

・移民と奴隷~1500年にポルトガルによってブラジル
 が“発見”されて以降、ポルトガルはアフリカ西海岸を中
 継地とし、アンゴラ
やベニン、コンゴ、モザンビークを
 植民地とし、そうした種族の異なるアフリカ人奴隷をブ
 ラジルに連れて行った。当時ブラジルは未開発の地であ
 ったため、そうした奴隷の労働力を欲していた。したが
 って同じアフリカ人でも言語や習慣も異なった種族がブ
 ラジルで出会った。

 6万人の出演者と25万人の観客を巻き込む地球最大のカーニバル。このカーニバルの為に1年を生きてきた。

YouTube ブラジルサンバカーニバル 2014

           〇カーニバルの主な楽器

  
カヴァキーニヨ(弦楽器)   パンデイロ(タンバリン)     スルド(ドラム)

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  ☆アルゼンチン・・・タンゴ

・タンゴは、18世紀後半にイベリア半島(スペイン)で発祥したある種のリズムの舞曲。タ
 ンゴのうちでとくに名高く重要なのは当時のスペインの植民地であったアルゼンチン・タ
 ンゴ、すなわちブエノス・アイレス(首都)に起こり、そこを本場として発達したタンゴで
 ある。

・アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーショ
 ン(欲求不満)のはけ口として、ブエノス・アイレスの港町ボカ地区の酒場で生まれた踊り
 といわれる。観光地であるこの一帯ではいつでも目にすることが出来る。

・タンゴは何といっても官能的なステップ、タンゴの衣装をまとった絶世の美女が、観光客
 男性相手に足を絡ませ一枚千円で写真サービスまでしている。

・ショーを見ていると、多数の男女が交代に絡み、足を相手の股に蹴り上げる。後で聞く
 と、タンゴはキザとセクシーが売り物だと言う、納得。 相手を変えて踊るのはあんたも
 う、嫌いよと云う意思表示であるらしい。ここでも男は弱い立場のようである。

・タンゴ楽団の楽器はピアノ・バンドネオン(アコーディオン風)・ヴァイオリン・コントラ
 バスという組み合わせが多い。

 ボカ地区は観光のメッカ、港町に面し、昔は多くの船乗りで賑わった。この建物の前庭ではいつも男女が魅惑的なタンゴを踊っている。 

  YouTube  タンゴ ボカ地区

     アルゼンチン・タンゴの代表曲

 ラ・クンパルシータは、ウルグアイヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスが作曲した、タンゴを代表する曲である。

 曲名は、イタリア語の「Comparsa(仮装行列)」に由来し、カーニバルに参加する仮装行列のために作曲した。ラプラタ・タンゴを代表する曲として、またウルグアイでは「タンゴの国歌」として愛されている。

   YouTube  ラ・クンパルシータ

      バンドネオン(アコーディオン風)

 蛇腹楽器の中では中型のサイズの楽器である(重さは5キログラムから7キログラムくらいの機種が多い)。
 
アコーディオンが蛇腹の押し引きを左手で行うのに対して、バンドネオンは左右の両手の力で蛇腹の押し引きを行うため、楽器のサイズの割りに大音量を出すことが可能で、鋭い明快なスタッカートなど音のメリハリもつけやすい

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  ☆キューバ・・・「ルンバ・マンボ・チャチャチャ」

 キューバの民族音楽は、いわゆるスペイン植民地時代のラテン系で明るさと楽しさが特徴。その後ダンス音楽中心の踊りが主体となっていく。それはルンバであり、マンボ、チャチャチャ、サルサなどである。「音楽が宗教」と言われるキューバである。

☆キューバ紀行(当ホームページ管理人) を
  参照下さい。

 アフリカの人々が数世紀も前、サトウキビ農園で働かせられるキューバに連れてこられた時、彼らは自分たちの音楽や楽器などの文化も持ち込んだ。
 そして彼らは、先住民のリズムとアフリカのビートを融合させた。今、キューバの若い世代は、自分たちの創作の中に奴隷とともにあった音楽を取り入れている。

YouTube キューバ音楽に浸透するアフリカのリズム

       〇ルンバ

・キューバのアフリカ系住民の間から生まれたラテン音楽
 であり、リズム名でもあり、ダンス名でもある。キュー
 バに奴隷として連れられてきたアフリカ系民によって成
 立した音楽及び踊り。

・主にハバナとマタンサス(キューバの北の都市)で盛んに
 演奏されており、休日、誕生日、結婚式など様々なパー
 ティで踊る時に使われている。

・1940年代後半以降、キューバ発祥のダンスを西洋のダ
 ンス界が取り入れ独自の解釈がされ生まれたダンス。
 1955年、競技ダンスの正式種目になり、社交ダンスの
 ルンバ
として世界に広まった。

 ・YouTube  ライアン&ハイディーキューバルンバ

      〇マンボ

 ラテンアメリカのダンス・リズムの一つ,またその音楽。ルンバにジャズの要素を加えた4分の4拍子の音楽で,1943年頃 ペレスプラード楽団が大成。

 主として管楽器と打楽器を使い,新しいステップの踊りとともに 50年代には全世界に流行した。そのスピード感のあるリズムに,歯切れのいいサックスやトランペットのアンサンブルを組み合わせた。

 YouTube マンボ №5 MAMBO №5

     〇チャチャチャ

 キューバ起源のリズム、およびダンスである。ラテン音楽のリズムの1つで、2拍子系。キューバのダンス音楽ダンソンを改良したもので、1950年代に流行した。

 マンボよりもスローなチャチャチャは、ダンサーにとって踊りやすく美しいステップが踏めると好評だった。世界的なマンボのブームの最中、キューバではマンボよりもチャチャチャに人気が集まっていた。

 YouTube

  キューバ・トリニダー:民族音楽「チャチャチャ」

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  ☆韓国・・・韓国民謡

 韓国の民謡はリズム的には6/8拍子のものが多いと言われている。

 日本でもトラジ、アリランなどの曲は韓国民謡としてよく知られている。

 トラジとは朝鮮半島および朝鮮族や在日コリアン、韓国系アメリカ人等の間で歌われる古くから伝わる民謡である。

 トラジは桔梗の事で、朝鮮族の間では「道拉基」や「桔梗謡」と表現される。現代、朝鮮族の間では「桔梗謡」の方が一般的である。

 もともと、京畿道地方の民謡だったといわれている。亡き恋人を偲ぶ曲や仕事歌、などと説が分かれている。「アリラン」と並ぶ二大朝鮮民謡で、どちらも基本的には三拍子である。

    YouTube トラジ (韓国民謡) 

アリラン』は、朝鮮民謡。

 キキョウを掘る娘を歌った『トラジ』とともに朝鮮半島内外で最も有名なものの一つ。

 明るいメロディーのトラジと哀調を帯びたアリランは朝鮮民謡の代表作と言える。

     YouTube アリラン(韓國民謡)

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  ☆中国・・・二胡

・現在中国は55の少数民族と漢民族とで構成されているが、それ
 ぞれの民族に伝えられた音楽は他の民族との交流の中でより内
 容が豊富になったり、新しい発展を遂げている。今日の中国民
 族音楽の演奏でも、各少数民族の曲やメロディーが必ずといっ
 てよいほど協奏曲として採り入れられるなどしている。 

・人の感情に最も近い音を出すといわれる 二胡、指で激しくつ
 ま弾くことで感情の動きを表現する 琵琶、日本の琴よりも多
 い20弦でより細やかな音色を伝える古箏など、日本でもなじみ
 のある楽器が奏でる音色が伝統音楽である。

中華人民共和国成立以後、音楽公演方面では歌唱団、歌舞団、
 管楽隊、民族楽隊が普遍的に設立されて優秀な作曲家、歌手、
 演奏家、指揮者らが大量に輩出されてきた。

 YouTube 中国民族音楽合奏団「大地」

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   ☆ネパール・・・ラブソング

・レッサム・フィリリは、ネパールで広く愛唱されているポピュラ
 ーソング。曲名の「レッサム」とは「絹・シルク」を意味し、
 「フィリリ」とはそれがひらひらとはためく様子を表している。
 愛する人を思ってざわめく胸の内を、絹がはためく様子に例えて
 歌うラブソングだが、若干コミックソング寄りの軽めの内容とな
 っている。

・チベットやネパールの一部では、相手に敬意と感謝の気持ちを込
 めて “KHATA” (カタ)を贈る。KHATAはチベット語で「スカー
 フ」を意味し、友達や親しい人の旅立ちの幸運を願って肩に掛け
 る。

・ヒマラヤ登山でネパールに行く山男や山女は、カトマンズの飛行
 場に着くやいなや、歓迎の意を込めてシェルパがこのカタを首に
 かけてくれる。誰しも経験する。そしてトレッキングや旅行で宴
 会が始まると必ずこの歌が披露される。

    ・YouTube レッサム・フィリリ

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  ☆日本・・・演歌

・日本と言えば演歌。歌詞の内容は、“海・
 酒・涙・女・雨・歓楽街・北国・雪・別
 れ”がよく取り上げられ、これらのフレーズ
 を中心に男女間の切ない情愛や悲恋などを
 歌ったものが多い

・テーマとしては、幸せ夫婦物、母物、その
 他家族物、人生物、心意気物、股旅物、任
 侠物、歌謡浪曲物、劇場型ドラマチック
 物、望郷物などがある。

          ・YouTube 女のみち ♪ ぴんから兄弟

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    ☆発展途上国の民族音楽 三態

 世界の国は196ヵ国、先進国もあれば発展途上国もある。

どの国にも民族音楽や伝統音楽もあるが、文字が読めない国民もそれなりに多い。また貧しさ故と文化が出来えてない国も多い。楽器もなければ何もない。

 そこで何があるかというと、手を叩いたり、足を踏み鳴らしたり、掛け声をかけたり、飛んで跳ねたり・・・様々である。しかしそこにはその国の素朴な音楽が口伝されているのである。これも文化なのである。

   〇赤道ギニア

 赤道ギニアの国は独裁者が40年もその位置におり、国民は貧しさに耐えている。
 油田が豊富だが独裁者の独占と汚職により、国民の生活は一向に向上していない。
 音楽と云えるものは踊ったり、手を叩いたりするだけである。

 旅行社のツアーで行ったが、現地ガイドは案内するところがあまりないため、町の学校に案内してくれた。ツアー客は学校や市場には喜んでついて行く。

 村の女性村長さんまでが出てきて歓迎してくれ、子供たちによる歓迎の踊りを披露してくれた。

   YouTube   赤道ギニアの田舎町の小学校 民族踊り

      〇バヌアツ(南太平洋)

 南太平洋の国々は温かく生活はのんびりしている。
ここカスタムビレッジという村は126名しか住んでいない。食べ物はバナナやパパイアなどどこにでもある。男はコテカ(ペニス収納器)というものを付け、ふんどしだけである。女性は腰ミノだけで上半身は何もつけていない。

 近年その生活振りが観光になると言うので、村や家を見せてくれる。多少のチップでOKである。最後は子供や大人達による踊り。木の棒を持つている者もいるが、円形でグルグル回り奇声をあげて手や足を上げたり下げたり、それだけである。ここには文化的な楽器などはない。

       YouTube   バヌアツ(南太平洋)の裸踊り

   〇マーサイ族

  

 マーサイ族は、ケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民である。人口は推定20 ~ 30万人程度と推測されている。
 マーサイ族が遊牧を行なっていた土地の多くは動物保護区や国立公園などに指定され、法的に彼らが遊牧を行なうことができなくなってしまった。現在、ケニア・タンザニアの両政府が進めるマーサイ族の定住化政策に対して、遊牧民である彼らは一貫して抵抗を続けており、両国内にある国立公園内での遊牧権と、季節ごとに家畜の移動を行なう際に両国の国境を超えて自由に移動する権利を要求し続けている。

 垂直ジャンプを繰り返す独特の踊り文化で有名であり、民族のアイデンティティとして知られる。近代的な楽器は全くなく、歌と踊りと飛び跳ねるのが特徴と云える。

村で一番高く跳べる男性が、村で一番綺麗な女性をめとることができると言われる。

 本来は定住せず、伝統的なヤギ等の家畜の遊牧で生計を立てる遊牧民であった。しかし現在では都市に住み、サバンナ観光ガイドや密猟監視員などの定職を持って暮らしているマーサイ族も多い。

  YouTube  ケニアやタンザニアのマサイ族の歌と踊り  大地を飛び跳ねる

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