今夜は日本酒!

                

                 伝統ある日本酒の蔵元

 3年ほど前から「ワイン」に凝り、ワイン・スクールやワイン・バーにもずい分奉仕した。究極を極めようとフランスのブルゴーニュ地区のワイナリーを数々回ってみた。ロマネ・コンティの畑にも行き、ブドウも食べてみた。そしてボーヌの「ワイン祭り」で素晴らしい体験もした。

 そして今回は「日本酒」に凝りだした。懲りない症候群である。
 
日本酒の蔵元の話が興味深くなり、時間を作っては酒蔵を回ることにした。蔵元と杜氏の話もこれまた興味が尽きない。そして「酒」と「食」の関係も奥が深い。

 業界の苦労話や海外戦略、平安時代や元禄時代からの歴史を引き継ぎ、伝統を守り革新を続けている「酒」業界の話題には新鮮味がある。

 今回は業界の位置づけ、北海道での新しい酒元の展開、業績著しい「獺祭」の苦労話、現代の名工と言われる杜氏とは、等々に視点を置いてみた。

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   ☆大吟醸を楽しむパーティー in 札幌

 国際都市・札幌の「ロイトン札幌」が会場      若い男女の和服姿が目立つ。最近は日本酒が若者に人気らしい

    800人収容のホールに900人が、会費10,000円は高いか安いか?  挨拶をする札幌市長、上手なのは短めと遠慮

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    ☆酒蔵の意欲が感ぜられるポスター

      「郷の譽:山桜桃」(茨城県) と「旭酒造:獺祭」に注目インタビュー

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    ☆オープニング

動画 ~ 大吟醸を楽しむ会 「オープニンYOSAKOIソーラン祭り」で歓迎

    ☆蔵元 登場

          動画 ~~~ 全国の有力酒蔵45社入場

今回、特に注目を浴びた旭酒造「獺祭」の桜井会長 会場の試飲コーナーでは列が出来た

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   ☆超豪華な和洋中華、酒蔵からは地元の名産料理も・・・

       ホテルからは各テーブルに和洋中華が所狭しと並ぶ。札幌の人気店からもケータリング

 日ハムのレアード選手ご用達「すし空海」も出張サービス          美味いッ!

      あちこちで先ずは  乾杯!  獺祭コーナーで30分、独占インタビュー   日本一古い酒蔵「郷の譽」でもインタビュー

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       北の大地 北海道の酒蔵

          2019年現在、酒蔵は12か所  明治中期は最高200か所存在した

       男山(旭川市)         日本清酒(札幌市)        高砂清酒(旭川市)

      国稀酒造(増毛町)         小林酒造(栗山町)     合同酒精旭川工場(旭川市)

     田中酒造(小樽市)       金滴酒造(新十津川町)     二世古酒造(倶知安町)

福司酒造(釧路市)

碓氷勝三郎商店(根室市)

上川大雪酒造(上川町)

   

    ☆酒蔵の歴史(北海道)

 北海道の酒蔵推移

北海道の酒造りは、江戸時代にはすでに道南の江差、松前、函館などで行われていた。
明治35年には最大で、道内に200近い蔵元があった。
明治15年~20年 函館25社、 小樽50社、旭川~明治後期 15件、
深川~2件 士別~2件 富良野~2件 岩見沢~3件 名寄~1件 倶知安町1件 愛別町1件、
 清水町
1件、芽室町1件、帯広市2件、北見市1件

・釧路(明治時代)~須田徳右衛門、愛北物産合資会社、カネ尾 酒造営業 尾崎定次郎、尾崎 常次朗、
          土田酒造
店、カネヲ印 磯部支店、まる宇 酒造営業 布留川 宇之助、
          カク岩 酒造営業 酒井惣助、
橋本酒造、稲葉酒造、石川藤四郎、豊島俊治(米町)、   
            
菊川三太郎(真砂町)、樋口音松(洲崎町)計14件

・室蘭市~明治20年代に8件、昭和初期に津田酒造、栗林酒造、宮酒造、田中酒造、小林酒造の5

1958(昭和33)年には全道に 56カ所あった日本酒の製造場が、この60年間で12カ所まで数を減らしている。

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    ☆酒米

 北海道の酒造好適米

 北海道の酒蔵では、他府県産の酒米を原料とするお酒が主流であったが、15年ほど前から、
「吟風」「彗星」「きたしずく」といった府県産に負けない優れた酒米が誕生し、今では北海道のお酒の約半分は北海道の酒米となり、「水もお米も北海道」で、おいしいお酒がたくさん飲める様になった。
 
酒米の40%は新十津川で収穫されている。

     阪神地区が酒米の生産地        北海道地区は地産地消が著しい

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  ☆変わりゆく「層雲峡温泉」とその町「上川町」

     「神々が遊ぶ庭」と云われる大雪山連峰、神奈川県と同じ広さを持つ。その周囲には温泉が多数ある。

 ☆日本の山岳リゾート地「層雲峡温泉」

大雪山への登り口の一角には層雲峡温泉。中央一番高いのが「黒岳」1984m  ロープウェイは層雲峡温泉街にある山麓駅から黒岳5合目まで運行

 目指すはスイスの山岳リゾート・・・「ツェルマット」・・・地元町長の「夢」

 「観光と言えば層雲峡温泉一辺倒だった」(町職員)と言う上川町は、今新たな観光拠点が誕生している。

 著名なシェフ三国清三が、オーナーシェフの「フラテッロ・ディ・ミクニ」を併設する観光庭園「大雪森のガーデン」が、大雪山をバックに立地し人気を得ている。

 すぐ近くには町の協力を得て、上川大雪酒造が道内12番目の酒蔵「緑丘蔵」が開業した。全国新酒鑑評会」で金賞を得た川端杜氏の造った酒である。

 この町には「ラーメン日本一の街」という別の顔もある。まさに食と酒が整ったのである。

 町長は「北の山岳リゾート構想」を打ち出した。

 モデルはマッターホルンの麓に広がるスイスの小さな村ツェルマット。町長が町職員だった30年前に研修で訪れ、自然と観光を共存させていた村の光景に感動したという。夏は登山やサイクリング、冬はスキーを楽しむため世界各地の観光客が集まっていた。

 これらの町や村は、誰が訪れても感動するところである。理想やアイディアがドッサリ詰まっている。

 「目指すべき姿はツェルマットにある」

 大雪山連峰は「神々が遊ぶ庭」と揶揄される素晴らしい自然を抱えている。高山植物の宝庫であり、大雪山を囲む周囲には湯質の違う温泉が多数ある。

 層雲峡温泉、高原温泉、愛山渓温泉、トムラウシ温泉、十勝岳温泉、天人峡温泉、旭岳温泉、中岳温泉、かんの温泉と泉質の違う名湯が控えている。これほど密集している所は他に存在しない。

 観光客を喜ばすイベントならいくらでもある。層雲峡から黒岳までロープウエイを延長し、頂上に山小屋を充実させて地元の食と酒を提供し、山小屋のつららでオンザロック。
犬ぞり体験、歩くスキー体験、層雲峡名物アイスクライミング体験、かまくらを作り中で宴会、雪合戦、雪中相撲大会、雪だるま作り、大型テント内でランチ、雪中運動会、乗馬、ゴルフ・・・

 下記に記したヨーロッパの山岳リゾートはいずれも大人気。やはり共通しているのは街から山上までの交通網である。
 スイスもイタリアもフランスもロープウエイ、登山鉄道、リフト、ケーブルカーなどかなり充実している。だから過疎と思われた街に年間何百万人もの観光客が押し寄せたのである。

 大雪山の道路施設で環境保護団体が大反対し、計画がとん挫した歴史がある。かなり以前の話である。しかし時を経た現在、北海道は限界集落が目立つ。そして農業が危機にある。


 反対運動は良いこともある。自然保護の観点から見れば猶更である。だが自然が残っても人が住まなくなっては元も子もない。本末転倒とも云える。
 

 ツェルマットもシャモニーもクールマイユールの村も栄えているし、自然環境も維持されている。しかも互いに恩恵を被っている。

 大雪山を活かして「大雪山高原列車」(下図)を走らせるくらいの思い切った策も必要ではないか。そして食や酒が整ってきた。あとは若い女性相手の人気スィーツ店を招く。するとその後から若い男性も追いかけてくる。やがてはファミリーも押し寄せる。大盛況な例が日本国内にはたくさん成功例としてある。

 すると食や酒の材料である第一次産業の田や畑が必要、労働力も当然必要になる。限界集落や廃墟地帯も解決しユートピアがここに生まれる。

 ここは町長の理想をじっくりと聞き、観光都市、一次産業向上を目指して大改革するべきであろう。良い酒と食と温泉、そして素晴らしい山があるではないか。

    ☆大雪山高原列車(提案)

   大雪山高原列車(仮称)は、大雪山連峰の主要な山と、温泉をつなぐリゾート列車である

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☆世界の「山岳三大リゾート地」

      ☆ツエルマット(スイス)

       マッターホルンの麓に広がるスイスの小さな村「ツェルマット」

「ツェルマット」の人口は5,700人。押し寄せる観光客は年間250万人。村の周囲には各種乗り物

 登山鉄道、ゴンドラリフト、ロープウエイ、ケーブルカーなどがあり登山客以外も楽しめる。

      ☆シャモニー(フランス)

    フランスのモンブランの眼下に広がるのが「シャモニー」 第一回冬季オリンピック開催地。

シャモニーの人口は9,000人、観光客は150万人。標高1,036m、富士山より高い3,842mのエギーユ・デュ・ミディ展望台までケーブルカー、街を囲む山々には登山鉄道、ゴンドラリフト、ロープウエイ設備

      ☆クールマイユール(イタリア)

 イタリアの「クールマイユール」は人口2,800人。屋根瓦が平たい石を敷き詰めた風情のある村である

モンブランを挟んで反対側のシャモニーからトンネルを通過してこの村へ。
ケーブルカーで、エギーユ・デュ・ミディ展望台を超えてシャモニーまで行ける交通網が完備

 以上、ヨーロッパの「山岳三大リゾート」が見本となる。
       良い所は真似するべき


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     ☆若い起業家(層雲峡)

ホテルクモイと竜崎さん

 22歳にして5軒のホテルを経営する新進気鋭のホテルプロデューサー、龍崎翔子さん。現在22歳、東京大学経済学部に在籍している。ほかにも北海道の富良野、大坂、京都、神奈川の湯河原に計4軒のホテルの経営に携わっている。新進気鋭の若手起業家である。期待される人間像の一人である。

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   北海道で戦後初の酒蔵「上川大雪酒造」の誕生

 社長で蔵元の塚原敏夫さん、まだ51才の起業家である 杜氏の川端慎治さん49才(左)、右はあの三国清三シェフ


  

 蔵元は 塚原敏夫

 平成2年(1990年)小樽商科大学卒業。同年、野村證券に入社。
 外資系金融機関、化粧品会社役員、リクルートエグゼクティブ・
エージェントなどを経て、世界のミクニこと三國清三シェフとともに
三國プランニングを設立、東京と北海道でレストランを経営している。
 上川大雪酒造『緑丘蔵』を設立し、北海道12番目の酒蔵の初代蔵元となった。

 北海道で戦後初の酒蔵「上川大雪酒造」の誕生

 杜氏は 川端慎治
1969年小樽生まれ、金沢大学工学部入学、日本酒に出会い杜氏を目指す、石川県・福岡県・岩手県・山形県・群馬県で酒作りを経験。


 
伝説の杜氏農口尚彦(石川県)の元で1年間修業。

 休業中の金滴酒造に杜氏として入り翌年2011年全国新酒鑑評会金賞」を受賞。 その後経営陣と経営方針が合わず退社となる。


 2016年「上川大雪酒造」発足とともに杜氏として迎えられる。

日本酒には、北海道産の酒米『吟風』100%が最適と言われる。

 酒米は「吟風」、「彗星(すいせい)」「きたしずく」

                                      大雪森のガーデン   ガーデン内の、フレンチレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ

 「フラテッロ・ディ・ミクニ(ミクニの兄弟)」から見る大雪山  フレンチレストランだが上川大雪の日本酒が人気

「緑丘蔵」

 上川大雪酒造を立ち上げたのは塚原敏夫さん。三重県で休止中だった酒造会社を買い取り、“移転”する形で酒蔵の新設を計画した人物だ。

 塚原さんには、もうひとつ肩書がある。上川町が整備した「大雪森のガーデン」で、三國清三シェフ監修のレストランを運営する「三國プランニング」の代表取締役だ。


 
「緑丘蔵は、道産子プロジェクトなのです。私も杜氏の川端さんも、全国をまわって北海道に帰ってきた人間。道外での経験や人脈をこれから北海道のために活かしたいと考えている。三國シェフも拠点は東京ですが、気持ちは北海道出身で同じです」と熱く語る。


 
塚原さん、川端さん、三國シェフ。上川町には縁もゆかりもない人たちを動かしたものは何だろう? 

 共通しているのは北海道で生まれ、北海道外で活躍した人たちである。云うならば鮭と同じように故郷にユータンした人たちで、これから小さな町での、大きな夢が期待できる。

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       この町は「ラーメン日本一の街」

 ラーメン日本一を名乗る街      町の中心部にはラーメン店が軒を連ねる、食の街である

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   ☆「獺祭」成功物語

   12階建ての酒蔵は地元でも驚き    抱負を語る4代目社長と、中興の祖である会長

 獺 祭 / 旭酒造(株) 山口県岩国市  

 桜井博志 プロフィール

旭酒造会長。1950年、山口県周東町(現岩国市)生まれ。松山商科大学(現松山大学)卒業後、西宮酒造(現日本盛)での修業を経て、76年に旭酒造に入社するも、酒造りの方向性や経営をめぐって父と対立して退社。一時、石材卸業会社を設立し、年商2億円まで成長させたが、父の急逝を受けて84年に家業に戻り三代目社長となる。研究を重ねて純米大吟醸「獺祭」を開発、業界でも珍しい四季醸造や12階建ての本蔵ビル建設など、「うまい酒」造りの仕組み化を進めている。2016年会長。

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 桜井一宏 プロフィール

1976年生まれ、山口県周東町(現岩国市)出身。早稲田大社会科学部卒。大学卒業後、酒造とは関係のない東京のメーカーに就職。2006年、実家の旭酒造に入社、常務取締役となる。2010年より取締役副社長として海外マーケティングを担当。2016年9月、代表取締役社長に就任、4代目蔵元となる

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    「酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて」とのポリシーで119億円突破。   
    精米歩合が50%以下の日本酒(つまり純米大吟醸酒)のみを造るというのが特徴。いわ 
    ゆる普通酒を作らないという。2018年は138億円突破し業界売上6位と大躍進中。

 「獺祭」とは、カワウソ(獺)が捕らえた魚を岸に並べる様がまるでそれらを供物にして祭りをするようにみえることを指す。この地区の地名「獺越」(おそごえ)の一字から命名。

画期的なのは、杜氏の経験と勘を徹底的に数値化しデータ化することで杜氏なしでの酒造りを実現した。

 また酒蔵に空調設備を完備し温度・湿度を調整できるようにした結果、冬期に限らず一年を通して酒造り(四季醸造)が可能になり、生産能力が2倍以上となった。

 酒問屋(酒販卸)を通さず、認定した正規取扱店約630店舗に直接卸す方法を採用している。2017年12月10日付の読売新聞朝刊に「お願いです。高く買わないでください」と,適正価格での購入を訴えて不正販売に対抗している。

 社員数 245名(2018年現在 正社員・パート半々)

 

 獺祭の杜氏不在から、身につけた酒蔵新手法

 以前の杜氏は、とんでもなく低いレベルにありなが ら、“酒造りの心”とか“伝統の匠の技”とか情緒的なことばかりを標榜し、「技術をブラックボックス化」することで、自分たちの立場を守ろうとする日本酒業界のつくり手たちへのアンチテーゼでもありました、という。当時の杜氏たちが旭酒造の経営が危ないという噂が広まり、全員が他へ移って行った。

 社長と残った製造経験のない社員三人で新たな酒作りが始まった。

 「面倒くさがらずに愚直に温度を測るところは確実に測り、実物を見て判断する。感覚に頼る勘の世界になってしまうと、忘れたり、覚え間違えをしたり、体調により感覚が違ったり、多分おかしなことになるので 数値化して残しておく。おそらくそこから先もあるのでしょうけれど、 今の僕らの段階でやっている分のデータ取りは確実にやります」と言う 

 その後、若い社員が製造責任者となり新しい「杜氏」として機械化された酒作りで今日まで造っているようだ。

 酒造技術の第一人者とされる大学教授から、一度も現場を見に来たことがないのに、「獺祭は麹を自分のところでつくっていない」などと根拠のない陰口をたたかれたりもした。だが愚直に信じた道を歩んだという。

 人はとかく「秘伝の匠の技」を好むが、絶対ブラックボックス化はさせません。と残った社員が杜氏となって現在に至る。 

 ここに「秘伝なし」が“秘伝”になったのである。知は抱え込まず、オープンにすればするほど膨らむ性質を持っている。旧態依然の杜氏では新しい組織には馴染まないという一例である。

 極端に言うならば、杜氏制度を否定する「変革と革新」の中から「獺祭」の酒が生まれたと言えよう。これは他の業界にも言えよう。

 獺祭 磨き二割三分の名前の所以たる23%という米の精米歩合は、米の磨き歩合としては日本最高峰と考えられる。

「経験と勘」は言い逃れ、慣習に縛られるなと3代目社長は言う。

「天才は1%のひらめきと99%の汗」 だという言葉、天才と呼ばれた、エジソンの言葉だ。

 獺祭の飛躍の原点となったのは、現会長の型破りの考えからに他ならない。云うならば過去の与えられた枠の中での垂直思考から、型を打ち破る水平思考、更に立体思考を実践したからであろう。

 頭が良く行動力がある人である。

 その実践とは、酒蔵がある山口県の人口が13万人程度、そこに5件もの酒蔵がある。いくらあがいても売り上げは伸びない、思い切って大都市・東京で勝負をした。当然その時は杜氏ナシで出来上がった、自信がある獺祭を引っ提げての進出。これが大成功となり飛躍したのである。

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   ☆日本最古の酒蔵(1140年代=平安時代)

     須藤本家の酒蔵、いかにも平安時代を彷彿とさせる    55代目当主 須藤源右衛門

 須藤本家株式会社  代表者 須藤源右衛門

 須藤本家茨城県笠間市の酒蔵。創業は平安時代1141年以前といわれ、2017年現在の当主は55代目という老舗である。日本に現存する企業としては10番目に古く、日本酒の製造会社としては最も古い企業である。社員数23名。

 2013年からは生産する日本酒はすべて純米大吟醸酒とする。輸出にも力をいれ、輸出先は欧米を中心に30ヶ国に及ぶ。2010年では売り上げの2割が海外で、さらに目標は全体の5割を海外で売ることだとしている。

 ・現在は全量が、純米酒純米吟醸下のクラスの酒は販売していないというこだわり。

  「生酒 無濾過」を日本で初めて出荷したのもこの須藤本家。消費者に本当の味を知ってもらいた  
   
いという思いで販売。

 ・「伝承古式仕込み」という、日本でもこの蔵にしか伝わっていない製法で日本酒造りをして
  いる。酒造りの責任者である「杜氏」ですらその全貌は知らされておらず、詳細な製法を知 
  るのは須藤本家の当主のみとのこと。

 ・須藤本家の酒には1本20万円以上もする「松寿千年翠」という秘蔵酒がある。これは須藤本
  家の酒の中でも特別に良いものを26年もの間寝かせた、
いわゆる「古酒」のカテゴリに入る  
  酒である。

 ・海外へ日本酒を売り込み始めた第一人者もこの須藤本家。当主がロマネ・コンティの醸造元
  に「花薫光」という酒を手土産として持っていった際、社長のオーベルド・ビレーヌ氏に
 「このボトルは70万円くらいか?」と聞かれたという逸話が残っている。

         日本企業10番目の老舗   26,000円          博士でした

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     ☆有名酒蔵めぐり

 売上高 日本一の酒蔵を訪問、兵庫県神戸市 白鶴酒造             試飲、規模と名声の香りがする

         東京「澤乃井酒造」を訪ねる      元禄15年(1702年)の味がする

     酒どころ秋田の「八海山」 雪室を使用             名酒「八海山」

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    ☆杜氏とは・・・

 杜氏は

 ある意味、杜氏は手抜きの天才という云う蔵元もいる。杜氏の勘に頼った酒造りでは、年により品質にばらつきが出る。酒造りは従来、酒蔵とは独立した杜氏の指揮の下で行われる。酒造りのノウハウが杜氏の頭の中にブラックボックス化されているのである。酒作りは蔵元と優秀な杜氏の二人三脚でなければならない。どちらかが劣ると進歩が見込めない。まことに厳しい業界の様だ。

 日本酒の醸造工程を行う職人集団、すなわち蔵人の監督者であり、なおかつ酒蔵の最高製造責任者をいう。

 杜氏の歴史

 飛鳥時代(700年代)には、朝廷の造酒司(みきのつかさ)において酒が造られたが、それ以前、酒造りは昔、各集落の女性の仕事であった。
 平安時代、専門知識を備えた僧たちが作るようになるが、やがて民間で作られる。

 鎌倉時代や室町時代には、造り酒屋(地域の名士)で作られる。

 江戸時代、貧しかった地方の農民が、農閑期である冬に年間副収入を得るべく、配下に村の若者などを従えて、良い水が取れ酒造りを行なっている地域、いわゆる酒どころへ集団出稼ぎに行ったのが杜氏の始まりである。

 明治時代、政府が醸造業の近代化を図り、各地で南部杜氏というような流派が出来た。

 昭和初期、戦争拡大の元、朝鮮、満州、台湾が杜氏集団の主な行き先であったが、遠くシンガポールやブラジルにも派遣された。(この頃は、「杜氏になれば御殿が建つ」などと言われたものだから、戦前の貧しい農漁村では青少年たちは競って杜氏を志した。手がけた酒の評判が高まれば、どんどん恵まれた環境への引き抜きがあるが、失敗すれば翌年の契約はされないという厳しい実力主義の世界であった。)

・旭酒造では杜氏の経験と勘を数値化し、管理を自動化することで杜氏を雇用せずに醸造を行っている。大手酒造会社も科学的管理法を導入しつつある。

 それぞれの杜氏集団が、一つの流派を形成し、その集団ならではの奥義を持っている。当然ながらそういう情報は、流派から外へ伝授することは許されていない。

 特定の流派の味を造るメカニズムが少しずつ科学的に解明されてきたから、という理由がある。しかし、熟達した飲み手(消費者)の官能に訴えるきわめてデリケートな味や香りは、まだ多くの部分が原因と結果に関して科学的解明がなされていないのもまた事実である。

・日本酒業界全体が長期低迷に陥っており、後継者もおらず、小さな流派では杜氏集団そのものが絶滅しかかっている。

・杜氏集団は、たいてい杜氏組合を組織しており、同じ杜氏集団内部での酒の品評会や講習会を催し、互いの腕を競い合う切磋琢磨の場でもある。

 蔵元との関係

 杜氏は完全な請負業であった。杜氏は蔵元(オーナー)からその年の酒造りで全責任をまかされて請け負うのである。配下にどういう蔵人を従えるかに関して杜氏は全面的な権力と責任を持ち、蔵元は口をはさまない。蔵元と杜氏集団との関係は、通常は何代にもわたって築かれてきたものが多い。

 伝統的な杜氏は、夏場は自分の村で農業を営んで、夏のあいだに蔵元が杜氏を村に訪ね、その秋から始まる醸造の計画を練る。秋に刈り入れが終わると、杜氏は自分の村の若い者や、近隣で腕に覚えのある者に声をかけて、その冬のためのいわば酒造りチームを組織するのである。

 蔵元では酒造りが終わる春まで、約半年間寝起きをともにし、ときには夜を徹して作業にいそしむ。季節労働者である。

・1980年代から変化が起こる。

 杜氏の高齢化と後継者不足、また農業や漁業だけでも暮らしていける社会になり、出稼ぎに行く必要がなくなったという時代的趨勢がある。若者も安定した企業に就職できるようになった。

 蔵元は止む無く自分で杜氏を兼ねるようになり、衰退しつつある日本酒文化を守ろうといった動機から、多くの若い杜氏が生まれてきている。また女性の杜氏も多く誕生している。

 昨今は大手酒造メーカーなどでは、コンピュータ制御によるオートメーションですべて酒を生産しているため、酒造メーカーが短期で雇ったアルバイトといった場合も増えてきている。

 杜氏は酒造りの技能に優れているだけではなく、部下の蔵人たち、ときには故郷に残してきたその家族たちまでも人間的にたばねていく統率力と包容力が要求される。

 大昔の飛鳥時代(700年代)には酒作りは女の仕事であったが、その後、酒造りは男の仕事であり女人禁制であった。現在、約1700という酒蔵が全国にあるが、杜氏の数は減り現在は700人程度である。その中で女性杜氏は30数名(2011年時点)で、全体からすると2%である。

有名な杜氏集団(日本三大杜氏)

 南部杜氏(日本最大、岩手県、現在300名程度)、

 越後杜氏(新潟県、2番目の大きさ、170人程度)、

 但馬杜氏(兵庫県、3番目、100人程度)

六角精児が「呑み鉄」本線で語る。

会津の酒蔵を訪れた。もちろん試飲を兼ねてのテレビ放映の場面である。

酒蔵の若い杜氏が語った。5年連続の金賞受賞したと言う。昔は技術を披露していなかったが、最近は公開し、そこからお互い切磋琢磨しています。

六角精児が言う。

私達、役者も同じことが言えますが、後輩は先輩の演技を真似して上手になろうとするが、決して同じ演技にはならないのです。そこにそれぞれの個性があって、新しい演技が生まれるのです。

だから日本酒の杜氏さんもそこから新たな技術が生まれるのではないですぃょうか。

 さすが警視庁鑑識課のプロ、分析力と眼識は鋭い。

              ☆伝説の杜氏と言われる人

 農口尚彦(石川県)  

1932昭和7年)12月24 - 石川県珠洲郡内浦町  (現・能登町)に祖父と父の二代続く杜氏の家に生
 まれる。16才から杜氏の修行を始める。
2010(平成22年) NHK『プロフェッショナル 仕事
 の流儀』に出演。
2013(平成25年)  農口酒造の杜氏となる。
2014(平成26年) 『和風総本家』「81歳の杜氏・
 農口尚彦 幻の名酒再生秘話」(
テレビ東京
 出演。

 高橋藤一(秋田県)

2019年3月、NHKプロフッショナル 仕事の流儀 伝説
 の杜氏「高橋藤一」に出演。

1945年横手市(旧山内村)生まれ。
 05年全国新酒鑑評会で金賞受賞(7年連続)。
 現在、齋彌酒造店取締役製造部長。由利本荘市在住

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    ☆日本酒メーカー売上高順位

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    ☆地域別日本酒蔵元数

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  ☆日本酒の輸出

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  ☆酒税の課税実績

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    ☆日本酒国別輸出額

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   「獺祭」の海外戦略

(旭酒造の例)

 旭酒造㈱(岩国市):銘柄「獺祭」

・米国、中国、香港、台湾、シンガポール、英国、フランス等の22ヶ国に輸出(スポット取引を含めると80ヶ国程度)。

・売上高は約108億円(2016年9月決算)、輸出額は約11億円(同)で輸出比率は10%強。

  ・輸出額を国別にみると、米国向けが全体の40%弱を占めて最多。次いで、中国が約25%、香港が約15%と、 上位3ヶ国のシェアが約8割。

 

・2002年、台湾首相からのアプローチをきっかけに同国への輸出を開始。

・2003年には、付き合いのあった蔵元から現地のバイヤーを紹介してもらい、米国、香港への輸出を開始。米国向けは、国内商社を通じてニューヨークでの販売ルートを確保。

2006年に入社した4代目社長の桜井一宏氏が米国担当常務として単身で渡米。商社の営業に同行したほか、飛び込みで日本食レストラン等を訪問して、米や麹を持参して酒造りの方法を説明するなどして販路を開拓。

「獺祭」を応援してくれる店を深掘りして、試飲会等を企画することで、口コミでファンが拡大。また、飲食店のスタッフに対する勉強会にも力を入れ、 料理とともに日本酒を楽しむ趣向を設けた試飲会やキャンペーンも積極的に企画・提案。「SAKE」といえば「獺祭」と言われるほど米国内で浸透し、ニューヨークで「獺祭」を提供するレストランは500超に拡大。

・当初、ニューヨークでは「獺祭」が相手にされなかったが、お客さんが何故獺祭を店に置かないのだと言われだしてから急激に売れ出したという。日本人客の口コミがきっかけであった。

・桜井一宏社長は入社後数年、ニューヨークを拠点に1年間の半分程度を海外で過ごし、3代目社長の博志氏と手分けをして、欧州やアジア等に直接出向き、地道な営業活動を展開。現在では、米国の2名、フランスの1名の社員とともに海外事業を展開している。

・2011年、健康的で安全な食品として米国等で注目されている「コーシャ(Kosher)認証」(ユダヤ教で定める食品基準)を国内の蔵元として初めて取得。

・世界の超高級店でワインやシャンパンと同等に勝負するため、10年以上の構想・開発期間を経て、「獺祭 磨き、その先へ」を2012年に発売。1本(720ml)で3万円(税抜き)という同社最高峰の日本酒である。

 ・2015年4月、地上12階、地下1階の酒蔵を新設。投資額は約30億円。旺盛な国内需要に応えるとともに、海外市場の更なる開拓に向けて万全の生産体制を整えるため、生産能力は従来の約3倍にあたる年間約500万本(1升瓶 換算)に拡大。同年9月には、酒米を一定の温度で貯蔵管理できる倉庫も新設。2013年9月時点で約90人だった従業員数は約245人に増加。

・昨年7月には、シンガポール伊勢丹内の「Japan Food Town」(クールジャパン機構等による海外展開支援で、 16店舗の飲食店が出店)に海外初出店となる「獺祭バー」を期間限定で出店。

・フランスでは、「Dassai France」を2013年に設立し、一宏社長が社長に就任。今春には、パリに海外初の常設店となる直営店を開設。フランス料理家のジョエル・ロブション氏と共同運営し、「獺祭」を取り扱うレストランやバーを併設。きちんと温度管理した日本酒を食事と一緒に提供するとともに、日本酒の文化を海外に根付かせる拠点として活用する方針。

国内では、東京・銀座に初の路面店をオープン。中国人を中心に外国人も多く来店し、 訪日観光客に対する情報発信拠点としても機能。

・「世界中で日本酒が日常的に飲まれること」を目標に掲げる同社だが、ここ数年、輸出比率は10%程度で推移し、目標とする50%に遠く及んでおらず、今後、新たな国・地域との取引は極力控え、既存のルートを深掘りして輸出比率を引き上げる方針。

 フランスの居酒屋でも「獺祭    「フランスは食の国、だからフランスを目指す」
フランス人が「獺祭はフレンチにも合う」と言いながら食事を楽しんでくれる。
 アメリカも「獺祭」を歓迎してくれる

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   全国新酒鑑評会

       日本酒業界、「唎酒師コンクール」はフランス料理のソムリエと同じ権威

    厳しい実技と知識が必要     審査委員は各界の権威者       晴れの入賞者

 全国新酒鑑評会とは

「独立行政法人酒類総合研究所」と「日本酒造組合中央会」の共催により実施される、全国規模で開催される唯一の清酒鑑評会のことを指す。

 明治44 (1911 )の第1回開催以来、平成25年酒造年度まで102回実施されており、業界では一番権威のある賞として位置付けられている。

 審査員は

・清酒の製造業、販売業又は酒造技術指導に従事している者

・醸造に関する学識経験のある者

・国税庁鑑定企画官職員

・国税局鑑定官室職員

・酒類総合研究所職員

 とされ、要はかなり知識・経験豊富な公的な方々が厳正に審査をしている。
もちろん、審査方法は全てブラインドで銘柄や産地など先入観を与えるような情報は一切なく、ガチンコで酒質を競い合う

 

 各酒蔵は、日本酒を技術的に高く造れているかというところを競っている。そして最高の酒に「金賞」が与えられる。

 しかし金賞が最高に美味しいとは限らない。全国新酒鑑評会はあくまでも"工業製品としての日本酒の醸造技術"を競う場であり、審査には、料理との相性や飲みやすさなどが考慮されていない。

 そのため、"金賞を獲った酒蔵は製造技術が高い"と考えるのが良い。

 実際には出品酒の3分の1ほどが金賞となる。だから金賞はたくさんある。

 我々酒飲みは、「金賞受賞酒」だからではなく、飲む者の好みで、良い酒かどうかを判断するのがベターのようだ。

 鑑評会の問題点は、鑑評会では唎き酒として対象の酒を呑み込まず、味と香りを鑑評したあとは吐き出してしまうので、呑みこんだあとの味や返り香が評価から捨象されることである。

平成29年度 全国新酒鑑評会結果発表、850点の出品があり、232銘柄が金賞を受賞。

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    特定名称酒の分類

 特定名称酒の分類

「吟醸」と「大吟醸」の違いは「精米歩合」にあり「吟醸」は、読んで字のごとく、"吟味して醸す"という意味。ていねいにこだわって造られたお酒なのだ。

 

「吟醸」と「大吟醸」の違いを説明するためには「精米歩合」と言われる。

「精米歩合」とは、"玄米を削って、残った部分の割合"を指し、玄米の60%を削って、残った40%を原料として使っているということ。

 吟醸酒は60%以下、大吟醸酒は50%以下でなければ名乗れないという決まりがある。

「吟醸」と名の付くお酒は「フルーティー」「華やか」「きれい」などと表現されることが多い

 

 大吟醸酒は、吟醸酒に比べてより米を磨いているので、さらに雑味が少なく、クリアな味わいのお酒が多いとされている。

 代表的な吟醸酒としては「八海山 吟醸」(八海醸造/新潟県)があり、

大吟醸酒は「一ノ蔵 大吟醸」(一ノ蔵/宮城県)などが有名。

 

 純米酒

 米と米麹だけを原料に造った日本酒精米歩合は七〇%以下。

 純米吟醸

 吟醸酒のうち、白米米麹、水だけを原料とし、醸造アルコールを使用しないでつくるもの。

 

 特別純米酒

 米と米麹だけを原料に造った日本酒。精米歩合六〇%以下のもの。

 純米大吟醸酒

 白米米麹、水だけを原料として醸造アルコールサトウキビ・トウモロコシ・コメなどを発酵させ、蒸留を繰り返したもの)を使用しないでつくり、かつ白米の精米歩合50%以下のもの。

 吟醸酒

 精米歩合60%以下の白米、米麹、水、醸造アルコールを原料として造る酒。

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 ☆酒まつりイベント(北海道)

北広島町のイベントには本家「広島」の蔵元も参加 栗山町のイベント「くりやま老舗まつり」小林酒造 札幌ススキノの近く「狸小路」でも

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  ☆酒蔵が営む「居酒屋」

 北海道NO1の売上「日本清酒」の千歳鶴がススキノで直営   栗山町の「小林酒造」が直営のススキノの居酒屋「七番蔵」

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  ☆利き酒師が営む「BAR」

   札幌ススキノのビルにある「北海道産酒BAR かま田」 
 日本酒のうん蓄を聞きたいならば、日本一のBAR、ここに限る
オーナーソムリエは「全国新酒鑑評会」で準優勝、日本酒の普及で世界を飛び回る。ワインと焼酎のソムリエでもある。酒の達人!

若い二人も日本酒の神髄を極めると言う、とにかく師匠譲りで知識が豊富 「吉田類の酒場放浪記」で有名な吉田類も常連客

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  参考
  「フランスワイン街道 紀行
」は →→→ こちら

 終わりに・・・

 いくら飲んでも、純米酒や吟醸酒の味は分からない。聞いても調べても複雑である。吉田類や六角精児のように、はしご酒や連日飲みに歩かねば難しいかもしれない。

 今月も二つの日本酒のイベントがある。日夜、奮闘努力(?) が必要である。体がもつかどうか。だが、天国で居酒屋を経営するためには予備知識が必要である。

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