フランスワイン街道 紀行
旅の初めに・・・ 海外旅行で世界のワインの味を覚え、先ずはブドウを自分で植えてみて、食べてみて、そして国内のワイナリーを巡ってみた。更にワイン・スクールにも通い、各地のワイン・バーもはしごした。 フランスは食の都、食べて飲んで夢みたいな旅行が待っている。ブドウとワインつくりの現場をじっくりと見てきたい。 |
★行程
今回はフランスワイン10大産地のうち4か所巡り | リヨンを出発、北上してボーヌ、ディジョン、そしてパリまで |
★ 出 発
成田~パリ~リヨン 19時間のフライト | エールフランス航空の機内食は美味い | フランスワインの大サービス |
★フランスワンポイント情報
・正式名 フランス共和国 ・国土 日本の約1.5倍 ・面積:675,417km²(日本の1.8倍) ・人口:約6,699万人 ・民族:多民族国家 ・言語:フランス語 ・宗教:カトリック(62%),イスラム教,プロテスタント,ユダヤ教 ・産業:化学,機械,食品,繊維,航空,原子力等。農業は西欧最大の規模。 ・識字率:99% ・平均寿命:男性で78.9歳、女性で85.0歳 |
★ローヌ・アルプ地方
ローヌ・アルプ地方といえば、モンブランやアルプスの山々、そして偉大なシェフが有名。 ローヌ・アルプ地方では、リヨンの北にあるボージョレーのワイナリーを巡り、サン・タムール、モルゴン、ブルイィ、フルリー、ジュリエナス、そしてピエール・ドレの村々(シャルネ、ウワン、テルナン)などの10ヶ所の高級ワインの産地がある。
|
★リヨン(フランス第二の都市)
リヨンの空港到着、オシャレな空港 | ホテルは何処も綺麗 |
リヨンのフルヴィエルの丘からリヨン市(人口50万人:フランス第二の都市)を眺める |
リヨンの近郊にはリヨン市の人口(491,000人)を含め、164万8216人が住み(1999年)、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。 フランスにおける金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在したこともある。すでに中世からヨーロッパ各地の手形交換所として機能していた ローマ帝国のガリア属州の植民市ルグドゥヌムとして古代から栄えた物資の集散地であり、中世には市の立つ町としてヨーロッパでも有数の交易地として栄えた。また、絹織物の産地としても知られる。旧市街はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 第二次世界大戦中は、ドイツ軍に対するレジスタンス運動の拠点のひとつだった。戦後は北アフリカの旧フランス植民地から多くの移民をむかえた。 日本との関わり~絹織物産業需要拡大のため明治政府はリヨン近郊出身のフランス人技術者ポール・ブリュナーを招き、1872年に富岡製糸場が造られた。 リヨン食文化経済圏内にある、ワインの名産地も数え切れない。とりわけ「リヨンを流れる3番目の河」とおどけられるボジョレのワインは、リヨンの大量消費が育て上げたものである。 「食通の街リヨン」、場末のブラッスリー(ビアホールのように酒と食事を提供する店を)に至るまで、他都市のそれと較べて食の質は高い。2年に一度、製菓ワールドカップが開かれる。 地理的に、ボージョレ、ローヌ、ブルゴーニュのワインそしてブレスの鶏肉、さらにはシャロレー牛といった食材の産地に恵まれている事から、「美食の街」としても世界的に有名である。 ポール・ボキューズは、現在2年に1度フランス・リヨンで行われている、料理界のオリンピック「ボキューズ・ドール」を1987年からスタートさせ、現在でもリヨンを「美食の街」として世界に発信し続けている。 ミシュランガイドの星印による評価は (1つ星) - その分野で特に美味しい料理 (2つ星) - 極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理 (3つ星) - それを味わうために旅行する価値がある卓越した料理 |
☆フルヴィエール教会(ノートルダム大聖堂)
世界遺産 | 金のマリア像 |
フルヴィエールのノートルダム大聖堂は、1998年、リヨン歴史地区の一部として、UNESCOの世界遺産に登録された。
社会主義勢力に対するキリスト教勢力の勝利の象徴となっている。すばらしいモザイク、ステンドグラス、 及び使徒ヨハネのクリプトを特徴とする。。 |
ローマ劇場は17,000人収容 | だまし絵の壁画 | だまし絵、ベランダに立っているよう |
町から丘の上の教会を見る |
リヨンの街並み | レストランが多い |
名物の抜け道「トラブール」 | 雨や人目を避けられる為に作られた |
子犬3匹と共に、これから乞食稼業 | フランスはパン屋が多い | 新鮮な果物屋も多い |
★ベルクール広場
ルイ14世の騎馬像を中心に、赤茶色の絨毯を敷いたような62,000 m2の大広場Place Bellecourプラス・ベルクール。 フランスではボルドーの「カンコンス広場(126,000 m2)」、パリの「コンコルド広(86,400 m2)」に続いて3番目に大きい広場。ここにはリヨンのカトリック大司教の所有するブドウ畑があり、ラテン語で「美しい庭」と呼ばれていた。 |
美しい庭の意味 | ルイ14世の騎馬像 | 星の王子様とサンテグジュペリ |
ランチは「LE NORD」 | ポーチドエッグのサラダ |
鯛、マッシュポテト | チョコレートケーキ |
美味しそうな果物 | 看板に「明治時代」とあるレストラン |
★ペルージュ(フランスの最も美しい村々)
「フランスの最も美しい村々」のマーク |
リヨン郊外約36キロ北東にある小高い丘の上に城壁で囲まれた村。「フランスの最も美しい村」の一つとして認定されている。 人口1万人程度。 |
この看板が「フランスの美しい村」に登録されている目印 フランスの最も美しい村々 |
||
見取り図案内板 | 掲示板 | メインの門 |
中世の石畳が残る | 見事な石の壁 |
トウモロコシが下がっている | 野菜畑 | 花畑 |
10人ばかりの生徒 |
チボー家の経営する歴史記念物ホテル | チボー家の人々の小説を考える |
『チボー家の人々』は、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説である。デュ・ガールの代表作であり、彼を1937年のノーベル文学賞受賞に導いた作品である。
「物語はカトリックの富裕な実業家の家であるチボー家の子息アントワーヌおよびジャック、それにジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子であるダニエルの3人の少年が中心となり、彼らの青春を通じて第一次世界大戦期10年間のヨーロッパにおけるブルジョワ社会や思想状況が描かれていく。厳格な気風のチボー家で育った真面目なアントワーヌは医師となり堅実な道を歩むが、反抗児のジャックは感化院に入れられるなどした後、作家となり、やがて革命運動に身を投じる。一方自由な気風の家庭に育ったダニエルは享楽家として描かれ、その妹ジェンニーはジャックと恋仲になる。しかしやがて第一次世界大戦が到来し、ジャックはビラ撒きの飛行機が墜落して重傷を負ったのち殺され、アントワーヌは毒ガスによって虫の息となり、ダニエルも戦場で負傷し障害を負う。彼らの希望はジャックとジェンニーの間に生まれた子供に託される。」 |
名物の焼き菓子「ガレット」 | 名物に旨い物あり! |
大型バスでゆったりと殿様気分? | 11月末からクリスマス飾り | どの町、何処へ行っても、大人が率先して楽しんでいる |
★ロマネッシュ・トラン(ボジョレーヌーボーのテーマパーク)
『ル・アモー・デュ・ヴァン』 『ル・アモー・デュ・ヴァン』はフランス・ボージョレ、ワインのテーマパーク。 ロマネッシュ・トラン駅前にある、今日ではすっかりボージョレ(ボジョレー)の顔になったワインのテーマパーク。マルチメディアを駆使し、子供も大人も一緒に楽しめる展示室から、ワイン畑の散策までワインについてどっぷりつかれる。ボージョレ・ヌヴォーで財をなしたジョルジュ・デュブッフが作ったテーマパーク&ワイン博物館。 まずワインがヨーロッパに伝わってきた由来、そして昔からのワイン造りの機具を展示した部屋などが続く。コルク、樽、熟成、葡萄の種類や品質の決め手になる土や天候の説明まで、ワインに関する色々な事柄が楽しく学べるようになっている。フランス語の人形劇やフィルムを使った説明もある。見学の後にボジョレーワインを試飲することができ、また多種のワインを取り揃えたブティックが併設されているのでショッピングも楽しめる。 |
||
ボジョレーヌーボーのテーマパーク入り口 | 日本語の案内本 |
先ずは博物館、ブドウの圧縮機、大規模 | 馬を使い耕作する機械 |
収穫したワインを船で運ぶ | ライン川をパリまで運ぶ |
貯蔵庫には大量のワイン |
ワインの臭い比べ | 同左 |
映画:ボジョレーの畑を空から蜂の目で見る | 蜂が飛んでいる気分を味わう。この乗り物がかなり揺れる |
左上の蜂君が畑を飛んで一緒に行く | 岩山に衝突する~ | 右上の蜂君は畑の真上を飛んでいる |
レストランもある | これがボジョレーヌーボー、解禁日だ~ |
いよいよ試飲! | サラミの御つまみサービス |
種類がたくさんあるようで | 6.7ユーロ、意外にお安いようで |
威厳のありそうなお姉さまが試飲させてくれる |
ワイン・オープナーはブドウの古木でできている | ワイン・グッズ |
★ランチ・タイム
ロマネッシュ・トランの「LE REMPART] | 綺麗なレストラン | 先ずは全員で、もちろんワインで乾杯! |
サーモンのマリネ | トラウト | アーモンドのクリームのシュー |
★ロマネコンテイ(特級格付けワイン)
「ロマネコンテイ」は僅かな土地、右の「クロ・ド・ヴージョ」と合わせてフランスで最も有名 |
農道を車で見に来る観光客 | ロマネコンテイ畑にある十字架 |
畑の中には立ち入らないようにとの注意書き | 壁には「ROMANEE CONTE」と埋め込まれている |
ここが「ロマネ・コンテイ」の畑、ここから採れるワインが世界一の高値 | 所々に摘み残されたブドウの房がある。勿体ない! |
ブドウの根 根が地表付近だけの場合よりも地中深く伸びた方が良いと一般に言われているが、はたしてどれ位まで伸びるものであろうか。 ロマネコンティの畑の葡萄樹は、地下100mも根を下ろしているとも言われるが、確認はとれていないようである。 ・樹の枝の剪定を行うと、根の広がりもある程度制御できるようである。葡萄樹の根の広がりを拘束することにより、葡萄樹を小木化して果実の生産に栄養を回し、葡萄を短期間で収穫することができるようになる。 ・醗酵途中の堆肥(牛糞、豚糞、鶏糞)の場合は、有機物が分解する時に出るエネルギーが期待でき、微生物が土地を活性化(団粒化)してくれる。 |
畦道を歩いていて、手を伸ばすとすぐ採れそう | ちょいと失敬、その味はやはり世界一! |
ロマネ・コンテイの醸造所 | 門には頭文字の RC |
ワインが好きな人たちが、一生に一度は飲みたいと憧れるワインの一つにロマネ・コンティがある。生産量が限られているので、フランス・ワインの中でも飛びぬけて高い。特別に安く売られているものを見つけても1本10万円は下らない。そんなに安いと、保存が悪くて味がおかしくなっているのではないか、と心配になるほどの破格値である。 名前の由来 「ロマネ・コンティ」は、ブドウ畑の名称をそのまま付けたもの。「ロマネ」の部分は、古代ローマ時代にまで遡るこの畑を生み出したローマ人に由来する。「コンティ」の部分は、18世紀仏ブルボン朝のコンティ公(prince de Conti)に由来する。 |
★「ロマネ・コンテイ」の収穫
秋には収穫 | 収穫は大変な作業 |
基準に合わない房は捨てられる、勿体ない | トラックに積み込み醸造所へ | 1本30万円~100万円 |
★不思議?
ロマネ・コンティの畑やクロ・ド・ヴージョの畑を見学して不思議な現象を見た。 高級ブドウ畑なのにドロボー対策の小屋も鉄線の囲いも見当たらない。入口の所に注意書きがあるのみである。畦道を歩いているとブドウの樹に手が届く。ガイドが畑に入らなければ一粒やそこらはつまんで食べても良いというフランス語が聞こえた、様な気がしたので摘まんでみた。その旨さは表現が出来ない、ムム~ッ。 収穫前、出来すぎたブドウは切り落とす。「原産地統合制度」の品質保証で決められており、それを守らないと銘柄をつけて販売することは禁止されるという厳しい規則がある。 ここの畑は非常に手が加えられていることがわかる。収穫後は馬で土を耕して冬対策もしている。畑を歩いているとプ~ンと馬糞か鶏糞の臭いがしてくる。すべて有機肥料を施しているようだ。 専門書によると、 ・葡萄樹生育に於ける3大要素は、微生物、水はけ、畑の土壌と言われている。 ・家畜の糞尿とオガクズを混ぜたものが一番肥料の成分を多く含む。家畜の糞尿の中でも、豚の糞を混ぜた場合、牛の糞やニワトリの糞の場合よりも肥料成分が多くなる ・葡萄樹を適度に生育させるためには人間の管理が必要となる。葡萄が大きくなりすぎたり、あるいは房数が多くなりすぎたり場合、一つ一つの粒に栄養が回らず、結果的にワインの品質は下がってしまう。 そのため、ブドウの樹の剪定を行って必要部分以外をカットする。 ・『草は土壌表面の水分を吸収することで、葡萄は小さく、粒間が広くなり通気性が良いため、腐敗果が生じにくいのである。さらに、草と競争することで、葡萄は土壌表面ではなく、地下へと根を伸ばし始める。地下深くの無機物(ミネラル)を吸収することで、葡萄の味に複雑味を持たせることができる。結果的にワインの味も複雑味を増し、深い味わいになる。』 こうして世界一の高いワイン、ロマネ・コンティは1本30万円~100万円で売れるという。死ぬまで一度は飲んでみたいですね~。捕らぬ狸の皮算用・・・1本平均50万円×6,000本=3,000,000,000円 30億円ですよ! |
フランスワイン2大生産地比較
★夕餉
ディジョンの「LES CAVES A JULES」どう云う意味? | エスカルゴ |
(名物料理)エスカルゴ エスカルゴは、フランス語でカタツムリを意味する語。通常は前菜として食卓に供される。食用カタツムリとして流通しているものはほとんどが穀物などの飼料を与えて養殖したものであるが、葡萄畑などに生息する食用に適した野生のカタツムリが利用される場合も稀にある。野生のカタツムリを材料とする場合はどんな餌を食べていたのかわからないので、数日間絶食させるか清浄な餌を与えて、消化管に残っている未消化物などを排泄させる処理が必要となる。リンゴマイマイの卵はホワイトキャビアとして食用にされている。 調理法は、殻から取り出し内臓を除去した後に加熱され、パセリとニンニクのみじん切りを練りこんだエスカルゴバターと呼ばれるバターソースを絡めるのが最も一般的であるが、食するには結構手間がかかり面倒な料理である。 |
ポークとラム | フルーツ・ケーキ |
今夜はホリディイン・ デイジョン | 今夜は仲間の奥様、お二人の誕生祝でした |
フランスの経済 フランスはヨーロッパで最高かつ世界で第4位の経済大国である。 同国は教育、医療、平均寿命、人権、人間開発指数の国際ランキングにおいて上位に位置する。フランスは世界第4位の世界文化遺産数を有し、世界最多の年間約8,300万人の外国からの観光客を迎え入れている。 2014年のフランスのGDPは2兆8468億ドルであり、アメリカ、中国、日本、ドイツ、イギリスに次ぐ世界第6位である。 フランス国民は高い生活水準を享受し、同国は教育、医療、平均寿命、人権、人間開発指数の国際ランキングにおいて上位に位置する。 観光客入国数では世界一、農産物輸出額では世界第2位を占める。農業は生産額世界第6位と依然としてフランスにおける重要な産業である。 フランスの農業 EU最大の農業国で「ヨーロッパのパン籠」と言われる。穀物、根菜、畜産などすべての農業部門において世界の上位10位以内の生産高を誇る。地形が概して平坦なため、国土面積の53.6%が農業用地と比率的には日本の約4.5倍に達し、国土の36%が耕作地で、18%が酪農用地である(国連FAO)。 穀物は、小麦、大麦、トウモロコシ、根菜はじゃがいも、テンサイ、畜産ではブタ、鶏卵、牛乳の生産が際立つ。 チーズやワインのように、非常にブランド力がある。 農用地面積の割合は国土の54%、2,927(万ha)、ちなみに日本は12.2%、456(万ha) 耕地面積の内訳は、穀物が50%、飼料用作物が23%、牧草が8%、ぶどうが7%、野菜・果物が5%となっている。 ぶどう栽培面積は約100万ha以上(日本の青森県程度の広さ)で、スペインに次いで第2位 |
★ヴェズレー(巡礼道:世界遺産)
世界の最も美しい村のマーク | ホタテ貝は巡礼路のマーク |
Chemin de Saint-Jacques-de-Compostelle サンティアゴ・デ・コンポステーラは、9世紀初め、イエス・キリストの十二使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の遺骸が発見された地で、やがてその地には大聖堂が建てられ人が集まり、町になった。巡礼路の長さはイベリア半島内だけでも約800kmあり、歩けば1ヵ月はかかる。 1998年に登録された世界遺産(文化遺産) 参考:四国八八か所お遍路は1200キロ |
||
サント・マドレーヌ寺院へ向かう | 道路にはホタテ貝の道しるべ |
作家「ロマン・ロラン」が晩年過ごした家 | ロマン・ロランの表札 | ロマン・ロラン |
ロマン・ロラン(1866年 - 1944年)は、フランスの作家。ノーベル文学賞(1915年度)受賞。理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持った。 代表作「『ジャン・クリストフ』 ベートーヴェンやミケランジェロなどの伝記を書いていた著者が、「あらゆる国の悩み、闘い、それに打ち勝つ自由な魂たち」に捧げて執筆した大河小説の先駆けをなすもので、ドイツ・ライン川中流の小都会に生まれた音楽家クリストフを主人公に、3代にわたる100人を超える人物が登場し、当時の西欧社会を描き出そうとした作品。主人公ジャン・クリストフはベートーヴェンをモデルにしていると言われている |
寺院の事務所で巡礼のスタンプを貰う | 私もこれで俄か巡礼者 |
サント・マドレーヌ寺院 フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂。この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の始点のひとつという歴史的重要性もさることながら、大聖堂のティンパヌム(装飾的な壁面)はロマネスク彫刻の傑作として知られている。 |
||
柱のすべてに彫刻 | 幻想的なこの日の巡礼路 |
丘の上にあり、マグダラのマリアの遺骸(頭蓋骨)を移送したと主張するサント=マドレーヌ大聖堂がある。 「ヴェズレーの教会と丘」という名で1979年にユネスコの世界遺産に登録されている。 中世自由都市のひとつ。この地で聖ベルナールが第二次十字軍を提唱した。 ロマン・ロラン終焉の地でもある。 道はここから遠く、ピレネー山脈を越えてスペインへと続く。ヴェズレーから国境を越え、イベリア半島北西部に続く巡礼道である。 |
||
分かります? この時計少し違いませんか | 巡礼者が利用した?レストランへ ランチ・タイム |
長いこれからの巡礼を記念して、先ずはカンパイ | エポワースチーズのタルト |
ブフ・ブルギニヨン(牛肉の赤ワイン煮) | チョコムース |
★フォントネー(シトー会修道会)
サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点にあたる森の中で静かにたたずむ最古のシトー会修道院で、外観・内装とも華美な装飾性を一切排している。 当時、禁欲的な生活を心がけた修道士たちが、最低限必要としたものだけが存在したことを思わせる生活空間がそのまま残っており、修道院の中庭の回廊を囲むようにして、参議所、寄宿舎、写本室、暖房付き休憩室、パン焼きの部屋、診療所、鍛冶場(2008年に復元) などを見学することが可能。 1906年にはリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡った。 寝室は参事会室の2階にあり、戒律は、個室を認めておらず、また、床に直にわら布団を敷いて寝る事を課した。 |
||
2階の寝室、この場所で全員がワラ布団で寝る | 農作業の為の鍛冶場 |
ピンク色の花崗岩でできた台地上にある。14世紀半ば、百年戦争中にはスミュールは栄え、ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公は分散する塔を囲い込んで天然の防御壁を強化することを決めた。 | どこから見てもその景観は飽きない。 |
要塞都市の道しるべ | 二重の門 |
小さな石の眼鏡橋 |
聖母被昇天の参事会教会 | 教会内部 | 美しいステンドグラス |
★ディジョン(美食の町)
フランス中部に位置する都市。人口153,000人。コート=ドール県(セーヌ川の源泉を擁する県。フランスを代表するワインの生産地)の県庁所在地である。マスタードの生産地として知られる。 1940年から1944年にかけナチス・ドイツに占領され、1944年9月11日に、フランス・イギリス・アメリカの合同軍によって解放された。 ディジョンは美食の都として知られる。エスカルゴ(カタツムリの料理) ディジョンの地理はブルゴーニュ・ブドウ栽培地帯の中にあり、グラン・クリュ道(フランスワインの産地における、畑の格付け。プルミエクリュの上で、最上級のぶどうを産出する。100万ha以上存在するフランスのワイン用ぶどう畑の中でも、グランクリュに値する畑はほんの一握りしか存在しない)途上にある。南は80km離れたボーヌまでグラン・クリュ道が続く、ブドウ畑で覆われた一帯である。西は標高500mほどの石灰質の高原となっており、無数の谷や窪地がある。東は、ソーヌ川平野の発端であることがはっきりとわかる、標高240mほどの高原である。 |
||
美食の都はマスタードを生んだ。老舗「マイユ」 | マスタードの山 |
フクロウは町のシンボル、道しるべ | 城壁の一部「ギョーム門」 | ブドウを踏む裸の男性像 |
エスカルゴが山盛り | 大きなタラ | ホタテ貝 |
カレイに模様が | トリュフ |
アールヌーボーの家 | フクロウを撫でると幸せになる? | 必死に手を伸ばす |
旧ブルゴーニユ公宮殿、フィリップ善良公墓碑 | 夫妻の墓碑 |
★ブルゴーニュ地方
素晴らしいブドウ畑とローマ時代の遺跡で世界的に知られる芸術と歴史の国。賑やかなお祭での珍しい体験、ワイナリー巡り、歴史散歩、河川遊覧、サイクリングと、ブルゴーニュの歴史遺産が特徴。
ブドウ畑の合間に、ルネッサンス時代や中世の城が姿を現わす。この地方の歴史的都ディジョンでは、釉(ゆうやく、うわぐすり)薬をかけた屋根瓦や大公宮殿が見どころ。 フランスでもっとも長い航行可能な河川網を擁するブルターニュ地方は、河川観光のパラダイス。有名なブルゴーニュ運河やニヴェルネ運河を船で遊覧するのが人気。 ブルゴーニュ地方では、様々なお祭りが一年を通じて開催されている。オセールのブドウの花祭りからコート・ドール県ソーリウーのグルメ祭り、シャロン・シュール・ソーヌ県のシャロン・フェスティバルまで、歴史スペクタクルとワイン祭りと大道芸が仲良く同時に開催されている。 |
★コート・ドール(セーヌ川の源泉)
セーヌ川の源泉を擁する県。フランスを代表するワインの生産地。 コート=ドール県は、フランスの県で唯一、地理的な名称ではない県名である。Côte-d'Orとはフランス語で黄金の丘(あるいは傾斜面)という意味である。 人口526,000人。 コートドールというのは「黄金の丘」という意味。葡萄畑には薔薇の花も植えてある。薔薇は病気に弱いため、葡萄畑に病気が広がる前に、危険を教えてくれる。この地にある、ロマネ・コンティの畑はほんのわずかな面積の葡萄畑から最高級のワインが生まれる。ロマネ・コンティの畑のとこだけ印がある。 特急ワインを作るには |
||
コート・ドールを走る | 超メジャーな「シャンベルタン」の畑 | フランスを代表する生産地 |
2017年はブドウの当たり年 今年の気候とブドウの生育に関する回顧録の要約。 「あたたかい日差しがぽかぽかと照り付けながらも気温が低く雪解けが遅かった冬、2ー3月は例年よりもあたたかく、ブドウの樹の周期が早く始まり、4月上旬まで順調のように見えた。4月中下旬には、大きな霜の脅威に脅かされ、ブルゴーニュ中のブドウ栽培者が冷や汗をかき、眠れぬ夜を過ごした。 |
||
★グランクリュ街道
最大でも幅2km、標高300~400mのブドウ畑の中を南北に走る道路がグランクリュ街道として整備されている。 北はディジョン市から南のサントネイ村まで途中ニュイ・サン・ジョルジュ町とボーヌ市を抜けるこのグランクリュ街道は、茶色地に白抜きでブドウの房が描かれた標識で分かるようになっている。 |
||
グラン・クリュ街道をバスが行く | 収穫を終えたブドウ畑 | ブドウの樹は30~50年で廃木 |
★クロ・ド・ヴージョ城
ブドウ畑に囲まれたシトー会修道士の館。1949年に歴史建造物に指定されたクロ・ド・ヴージョは、波乱に富んだ歴史を持つシャトー。 クロ・ドゥ・ヴージョの起源は、12世紀初頭、シトー会の修道士たちによってこの地に修道院がたてられ、ブドウ栽培及びワインの醸造が始められたことに遡る。12世紀に建てられた修道院は、フランス革命がおこるまでシトー会修道士が所有していたが、現存の館の形になったのは16世紀のこと。革命後には、修道院は国財となり、その後、何度も所有者が変わつた。 1944年、ドメーヌの持ち主だったエティエンヌ・カミュゼが建物の所有権を利き酒騎士団に譲渡したことで、クロ・ド・ヴージョは現在、ワイン関連の博物館になっている。ブルゴーニュのブドウ畑の歴史を色濃く残す歴史遺産として、シャトーは一般に開放されてる。 |
||
博物館へ向けて | 世界遺産のマーク | 昔は修道院 |
日本語の本があった | グッズ売り場にあるエプロン | まだ畑には美味しそうなブドウが・・・ |
本日のランチは「ヴージョ村」 | 丘の上にあり景観が良い |
サラダ | タラのフライとサフランライス | バニラアイス |
★ボーヌワイン祭り「栄光の3日間」名物ハーフマラソン
ハーフマラソン フランスにはコース中に酒を飲ませる〝酒飲みマラソン”がいくつかある。『ボーヌ ワイン祭り ハーフマラソン大会』もその一つ。 ワイン祭りのイベントの一つとして行われるマラソン大会は、ボーヌの城壁の中をスタートし、ポマール・ボルネイ・ムルソーなどブドウ畑の中を駆け抜ける、ワイン通にはたまらん ♪ 魅力的なコースのマラソン大会である。 地方のゆるい大会、当日申し込みもあり、名前を言えばゼッケンを受け取れる。(身分証明書の提示も求められない)。スタートはボーヌの城壁の中、オスピス・ド・ボーヌのすぐ近く。 まずは10kmマラソンがスタート、15分後・14時にハーフマラソンがスタート。 10kmマラソン参加者約2000名、ハーフマラソン参加者約3000名、これだけの人数がブドウ畑を走る光景ってすごいことである。 まずは5km地点で最初の給水所。水に、フルーツにケーキ。そしてお楽しみのワインももちろんある。 ポマール村を出たらボルネイ村へ。次の給水所は10km地点。ひたすらワイン畑が続く。15km地点、ポマール村で3度目の給水所。ゴール後は赤ワインを1本参加賞としてもらえる |
||
5,000人が参加 | バスが走れず、止む無く会場まで1時間を歩く |
給水所にはフルーツ、ケーキ、ワインも当然 | 登坂もあり厳しそう | ゴール |
★ブルゴーニュ銘醸ワイン祭り(国際会議場)
ヴォルネイ村の会場はマラソンの終了地点 | 国際会議場 |
会場の入り口 | 14か所、3,000種類の説明本 |
受付を終えて、さあ~2時間頑張るゾ!? | 円卓のブース、販売業者が説明。16か所を巡る |
テスティングは少~し | 先ずは赤ワインから |
2015年もの | 2017年ものの赤 | 味はどう~ と美女が言う |
少量のテスティングワインだが飲んでいられない |
愛嬌のあるオジサンが薦めるワインとは? |
香りを嗅ぐ | 微妙に臭いが違う | 10種類ほどに人気がある |
ワイン業者のカウンターブース | 日本語は得意なのだが! | 3,000種類の名前 |
★主要国のブドウ・ワイン生産等 比較表
★ボーヌ・ワイン祭り(夜の部)
ボーヌのオスピス(ホスピス, 施療院)- 1443年にブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロランが創設したもので、貧しい人たちに無料で医療を施した。 入院の条件は、貧者であることただひとつだった。王侯貴族から寄進されたブドウ園とそこから生産されるワインで、費用は埋め合わされていた。この建物は、屋根瓦が、黄色や赤、茶色とカラフルで、しかもブルゴーニュ風の文様を描くようにデザインされていてとても美しい。 こうした施療院は、当時、オテル・デュー(神の宿、fr:Hôtel-Dieu)とも呼ばれた。現在では、その当時の薬品、医療器具を展示した医学博物館になっており、またワインオークションの会場としてよく知られている。現存するオテル・デューの中でも最も有名な施設のひとつ。この施療院ブランドのワインもある。 |
にぎやかなメイン通り | 夢の国の様な街並み |
ここは牡蠣が特産 | 夜遅くまで人々はワインを飲んで楽しむ |
夜のミニパレード、昼間が本番 | 音楽行進 | ノートルダム教会のプロジェクトマッピング |
動画・・・2017年ワイン祭り・パレード(クリック) |
オテル・デュー | オテル・デューの中庭 |
開設者の宰相ニコラ・ロランと妻ギゴーヌドサラ | 28台のベッド、寒さを防ぐために二人で寝る |
天井には患者が退屈しないように宗教画や装飾が | 入院の条件は貧者のみと限定、やがてフランス国内に |
台所 | 薬局と調剤機器 |
第157回2017年 オスピス・ド・ボーヌ~オークション速報! その年のワインの動向を示唆する「オスピス・ド・ボーヌのオークション」が11月19日に行われました。 オークションの結果からお伝えしますと、2017年の利益は1352万9301ユーロ(約17億8766万円・手数料込)にて、前年の840万ユーロ(約11億円)を大きく上回っただけでなく、2015年に史上最高と言われた1130万ユーロ(約14億円)を超えて、史上最高額を塗り替えました。フランスの国営テレビ局の発表によりますと、今年は8,6%値上がりしたようです。 また、ワインの利益が慈善団体に贈られる「会長の樽『コルトン・グラン・クリュ クロ・デュ・ロワ』」は、例外的に2樽オークションに出され、2樽で42万ユーロ(約5500万円)に達しました。 収益は、アルツハイマー病の研究基金、脳の研究財団、そして気候や海の研究機関タラ・エクスペディションの3つの機関に寄付されます。 以上当局発表 |
||
ノートルダム教会 | ミサが始まる |
本日のパレード開始 | 仮装した市民、小さな22,000人の町が総出 | 小さな女の子が旗手、楽しそう |
木靴でパレード | 音楽隊 |
★ワイン博物館
博物館 | ミュージアムの旗 |
昔のワイン醸造作業場 | ブドウの圧縮機 |
★ボーヌワイン試飲「パトリアシュ」
パトリアシュの会社はボーヌ最大 | 40ユーロで10種類試飲 |
地下の貯蔵庫は薄暗い | 樽が並び、注いでくれる | 29ユーロ、4000円程度、日本なら1万円? |
前日の3,000種類なら味をみるだけ、ここは飲み干さなけりゃ! | 樽から直接ガラス管で注いでくれる、雰囲気抜群! |
白は4種類、赤が6種類。だんだん美味しくなる | ワインは場所で飲むお酒ですかね~ |
このワイン・グラスはお持ち帰りOK | ワイングラス入れのストラップ |
この日最高のワインは1977年もの、なんと240ユーロ、33,000円程度。誰もが美味しさに感嘆 |
町の屋台巡り | 牡蠣セットで白ワイン付き | 名物赤ワイン煮のビーフ |
★フランス国民
欧州最大の多民族国家であるフランスでは、本土では ケルト人(中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来した人種) ラテン人(イタリア中西部に居住した勢力を指す) フランク人(ドイツ北部・デンマーク・スカンディナヴィア南部地帯に居住していたゲルマン系の人種)などの混成民族であるフランス人が大半を占める。
フランスで人種差別は存在しないわけではないが、もともと混成民族をベースにすることもあり、アメリカやイギリスのように人種差別が合法化されたり、ナチス時代のドイツのような純血主義に走る例は少なかった。 よって、パリが芸術の都として世界中から画家や音楽家を集めた背景にもそうした気風があり、イタリア訛の抜けなかったナポレオンも国民の英雄としてもてはやされた。 伝統的にフランスはスペイン、ポルトガル、東欧諸国などから多くの移民・政治的難民を受け入れており、近年では、アフリカ(主に1960年代までフランスの植民地であった地域)・中近東からの移民が多い。 フランスの社会保障は、子供を4人以上産めば事実上各種手当だけで生活する事が可能となり、結果として低所得者が多いアフリカ系の移民やイスラム系の外国人労働者を激増させているのではないかとの指摘もあり、低所得者に対し国民の不満も高い。 フランスのサラリーマンの平均月収は20万円、ボーナスはない。だから共稼ぎは必須であろう。 |
★アルザス地方
高級ワインの産地が連なるアルザス・ワイン街道は、180㎞にわたりブドウ畑と絵のように美しい村が続くルート。 ワイン街道をたどれば、アルザス・ワインの7つのブドウ品種について知ることができる。 芸術と歴史の地であるアルザス地方には、数多くの博物館や教会、中世の要塞などの史跡がある。 花が咲き乱れるアルザス地方の可愛い町や村を散策できる。 木の骨組みがあらわになったコロンバージュの家、狭い路地、ゼラニウムが咲きこぼれるベランダなどを見ながら散策できる。 エギスハイム、ユナヴィル、アンスパック、リクヴィールなど、「フランスで最も美しい村」に指定されている村がいくつもある。 |
フランス国内は宿り木が多い | ドライブをしていても宿り木が目を楽しませてくれる |
★ロンシャン
ロンシャン礼拝堂 光あふれる現代の聖空間 ロンシャンはオート・ソーヌ県にあり、ローマ帝国時代は軍隊の駐留地。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になると、町にも教会が建てられ、巡礼地になる。 東京・上野にある国立西洋美術館など、7カ国の17施設が「ル・コルビュジエの建築作品」として世界文化遺産に登録された。 |
||
日本の本 | Tシャツ |
マリア像も宗教画もない | 世界遺産7か国17施設の分布図 | 日本の国立西洋美術館 |
近代建築の三大巨匠、左からライト、ミース、コルビュジェ | 三人の代表作グッゲンハイム美術館、シーグラムビル、国連ビル |
ロンシャンの街並み | ロンシャンの街並み | ロンシャンの街並み |
ロンシャンのレストラン「LE RHIEN」でランチ | ハムと生ハムの盛合せ |
ほろほろ鳥 | フルーツサラダ |
★コルマール
可愛らしい木組みの街並みが残り、アルザス伝統の趣ある街、コルマール。ドイツ国境の街ストラスブールから南に70キロ、スイスのバーゼルとも程近いコルマールは「アルザス・ワイン街道」のほぼ中間に位置し、「アルザス・ワインの首都」とも呼ばれている。 第二次世界大戦中の激戦地のひとつであったアルザス地方にありながら、コルマールは奇跡的にも戦禍を免れた。このため街角には木組みの家の街並みや石畳の道など中世からルネサンスにかけての面影が色濃く残っている。パステル調の家並みが運河の水に映え、イタリアのヴェニスを彷彿とさせることから「プティット・ヴニーズ」と呼ばれる地区では、散歩客をメルヘンの世界に誘う。 |
ウンターリンデン美術館 | かっての女子ドミニコ会修道院 | 有名な祭壇画が並ぶ |
頭の家、100以上の顔の彫刻 | 頭の彫刻 |
クリスマスの飾り | 軒先の飾りが可愛い |
それぞれに意味があるらしい | 肉屋さんかな? | コウノトリの飾り |
この家は映画「ハウルの動く城」に登場し有名になった | アニメは今や世界中で有名 |
プテット・ベニス | 景観が素晴らしい | イタリアのベニスを彷彿とさせる |
今夜の夕餉は「PFEFFEL」 | オニオン・タルト |
壺で水が出た | ベックホーフ(豚、牛肉、ラム肉と野菜の重ね焼き | イチゴとレモン味のシャーベットケーキ |
★エギスハイム(美しい村)
「フランスの美しい村」 |
|
|
伝統的な木組みの家が並ぶ美しい村。アルザスのワイン街道の中央に位置する人口約1.500人のこの村は、「フランスの最も美しい村々」の一つ。また、「フランス人が好きな村2013年」でNo.1にも選ばれている。 |
美しい村のマーク | 木組の家が美しい | 村中が飾り |
教会の塔の上にコウノトリの巣 | 落ちないのかな~ |
町のクリスマスの飾り | 郊外にはブドウ畑が広がる |
医学博士シュバイツアー出身地 | 生家 |
博物館でした | シュバイツアー像 |
コウノトリ売り場 | トナカイさんも出番待ち |
飛び出そうとするコウノトリ | 楽しそうだね! | 窓は飾りでいっぱい |
★リクヴィール(美しい村)
(美しい村) |
||
フランスの最も美しい村に登録されている。城壁に囲まれ、村の目抜き通りを端から端まで歩いても20分程度という小さな規模だが、16世紀以来という歴史的な建築物から人気の観光地となっている。 リースリング(ドイツにおいて最も重要な地位を占める白ワイン用ぶどう品種)など有名なワインも生産されている。アルザスの真珠と呼ばれている。人口1200人。 |
何屋さんかな? | ワンちゃんも散歩が楽しそう |
リクヴィールでのランチ | パテ |
ポーク | リンゴのタルト |
★アルザス・ワインの試飲
「CAVE ANTOINE ZIMMER」のお店 | アルザス・ワインの試飲 | 1849年創業家族経営のワイナリー |
購入したブドウの木で作ったオープナーを横に | これはどうも! |
皆さん大喜び | 次は? | 3本の試飲、どなたかお買いになりました? |
★ストラスブール(街道の街)
フランス北東部の、ライン川左岸に位置する。河川港を抱える交通の要衝である。対岸にはドイツの都市ケールが存在するが、シェンゲン協定によってパスポートチェック無しで自由に行き来できる。2007年6月10日にはTGV東ヨーロッパ線が開業し、パリ東駅と2時間20分で結ばれた。
ストラスブール(シュトラースブルク)の語源はドイツ語で「街道の街」であり、交通の要衝として栄える。ライン川にフランス最大の河川港をもち、交通の便の良さから商工業が盛んである。 都心にあるカテドラル(ノートルダム大聖堂)、アルザスの伝統家屋が密集したプチット=フランス地区がユネスコの世界遺産に登録されている。 |
ドイツに何度も攻められた町 | アルザス地方の中心都市 |
景観、夜間がまた素晴らしい | ヴォーバンの堤 |
夕餉は「LE SCHNOKELOCH」 | タルト・フランベ | シュークルートは迫力 | フルーツサラダとバニラアイス |
ストラスブールは人口27万人 | 木組の家が多い | 幾何学的な模様 |
5階建ての家 |
川面に映る景色が良い |
木組の家ばかり | うっとりと眺める |
紅葉が綺麗 |
綱渡りの練習? | 人気のお菓子 | 路面電車 |
モーツアルトやシュバイツアーが住んでいた家 | モーツアルトの弾いたオルガンがある |
ノートルダム大聖堂 | 高さ142mの尖塔 | ゴシック建築 |
宗教画が多数 | 素晴らしい宗教画 |
有名な天文時計 |
からくり人形が動き出す | 順番に動き出す |
動画・・・ストラスブールのノートルダム大聖堂の天文時計 |
ロアン宮 | 現在は美術館 |
イル川船着き場 | 遊覧船 |
大きな菊の花飾り | 巨大 |
ビルの谷間から見るノートルダム大聖堂 |
今夜の夕餉はこちら | 男性用トイレに異様な絵が |
たまにはビール | タルト |
ビーフ | イチゴの山 |
★ウィンジャン・シュル・モテ(田舎の村)
ドイツに近いアルザスの町。フランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナーで有名なルネ・ラリックが工場の建設をした地。 |
||
★ラリック美術館
山深い所にある美術館 | 入口 | ラリックの写真 |
ルネ・ラリック 19世紀~20世紀のフランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナー。アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家。 前半生はアール・ヌーヴォー様式の宝飾(ジュエリー)デザイナーとして活躍し、その分野で名声を得ていた。宝飾デザイナー時代から、ガラスをパーツに用いていたが、ガラス工場の経営者に転進するのは50歳を過ぎてからである。 ラリック美術館 ルネ・ラリックは、アルザス地方、ヴォージュ・デュ・ノール地方自然公園の中心部にあるウィンジャン・シュル・モデールの町に1921年に工房を開いた。 2011年この地に国内初のラリック美術館がオープンし、900平米以上ある館内では、ラリックの制作したデッサンや宝石、香水瓶、ランプ、花瓶、テーブルアートといった幅広い分野のオブジェ550点あまりを、高度な演出技術を利用し、上品に展示している。 ルネ・ラリック作品の美術館は、秋田県の大村美術館、滋賀県長浜市の成田美術館、神奈川県の箱根ラリック美術館、岐阜県の飛騨高山美術館にも展示されている。 |
高いのでしょうね | どのくらいでしょうね |
凡人には良さがわかりません | 何か、すごい |
ランチはブラッセリーで | ブラッセリーは何処も人気店 |
卵のサラダ | サーモンの包み焼き | 黒サクランボのクラフティ |
★メッス(花の町)
北東フランス、ロレーヌ地方の首府、3000年もの古い歴史をもつ町メッス。豊かな商業都市であり、交互にドイツとフランスに併合された過去を持つ。人口12万人。 |
「フランスの最も美しい駅」コンクールで優勝した駅 | 昔は軍事利用のかなめ、ドイツの拠点でもあった |
★サン・マキシマン教会
詩人・画家のジャン・コクトーによるステンドグラスがある教会。全体が青の濃淡でまとめられ、側面のステンドグラスには星の模様がちりばめられている。平和を象徴する鳩、アフリカの仮面、迷路、植物などがモティ-フになっており、聖人や聖書の物語ではないコクトー独自の絵柄が興味をひく。
○ジャン・コクトー フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った。 |
サン・マキシマン教会 | この教会は特別有名 |
ジャン・コクトーのステンドグラス | コクトーのいろいろなステンドグラス |
★サン・テティエンヌ大聖堂
1220年から1550年までの300年間を費やして建造されたサン・テティエンヌ大聖堂は、ゴシック・フランボワイヤン建築の傑作と言われており、身廊の高さは42メートルという、世界でも規模の大きな中世建築の一つである。
この聖堂を何よりも有名にしているのが、内部にある総面積6500㎡のステンドグラス。特に20世紀にシャガールが手がけた部分は見逃せない作品である。 20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。生涯、妻ベラを一途に敬愛していたこと、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれる。 |
サンテ・ティエンネ大聖堂 | 300年かけて建立 | ゴシック建設 |
欧州最大級の6,500㎡のステンドグラスは「神のランプ」の異名 | シャガールの作品も多い |
クリスマス飾り | 夜はひときわ美しい |
夕食は「LE CHAMADE」 フォアグラ | 赤ワイン |
シカの赤ワイン煮 | プロフィトロール(シューアイスのチョコレートがけ) |
ランチはキッシュロレーヌ、郷土料理 | 今日もワインで乾杯! |
サンドル(魚)の包み焼き | ミラベルノシャーベット |
★ナンシー(アール・ヌーヴォーの町)
フランス北部、人口:105,421 人 (2010年)、鉄鋼業で有名。フランス第5の金融都市である。 |
18世紀の広場 | 広場に面したホテルに本日宿泊 | 中世の面影そのまま |
これも中世か? | ルイ15世の義父スタニスラス公の銅像 | 豪華な凱旋門 |
★シャンパーニユ地区
シャンパーニュという名称は、古いフランス語の(田舎)に由来する。 大きな湖とランス山自然公園とオリアンの森とアルデンヌ山地からなり、パリやディズニーランドもすぐ近く。 |
||
★ランス(シャンパンの本場)
シャンパーニュの中心的な都市であるランス。25人の歴代のフランス王が戴冠式をおこなう政治的・宗教的に重要な土地。ランスには1991年にユネスコ世界遺産に認定されたモニュメントが4つもある。 第二次世界大戦にはドイツ軍に占領され、壊滅的な被害を受けたが、1945年5月7日にはヨーロッパでの第二次世界大戦を終結させたドイツ降伏条約が調印されたことでも知られる。 ランスはシャンパンの本場で、街の郊外には一面ブドウ畑が広がる。フランスで活躍した日本人画家、藤田嗣治が壁画を描いたことで知られるチャペルのフレスコ画はブドウの収穫がモティーフで地元の特徴にあふれている。街のいたるところにシャンパン専門店があり、低価格で購入できる。 |
||
ノートルダム大聖堂は250年前創る | 有名な「微笑みの天使」 |
ジャンヌダルクの絵 | 藤田嗣治夫妻の写真も飾られている | 藤田嗣治の説明版 |
★フジタ礼拝堂
藤田嗣治はフランスで認められた画家 | 最後の奥さんは日本人 |
☆フジタ礼拝堂 1913年、27歳の時に画家になることを夢見てフランスにやってきた藤田嗣治は、エコール・ド・パリ(パリ派)のひとりとしてパリのモンパルナスで大輪の花を咲かせた。 1966年初夏、80歳の画家は礼拝堂内部のフレスコ画に着手した。フレスコ画は漆喰を塗った壁が乾ききらないうちに素早く描かなければならないため、失敗が許されない。大変な集中力を必要とするが、フジタは毎日12時間、壁と向かい合い、全部で200m²にもおよぶ空間をわずか90日間で仕上げた。こうして秋に完成した礼拝堂は、ランス市に寄贈された。 藤田嗣治(ふじたつぐはる、1886年 - 1968年)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。 1935年に25才年下の君代(1911年 - 2009年)と出会い、一目惚れし翌年5度目の結婚、終生連れ添った。 戦時中日本に戻っていた藤田には、陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請があった。 日本美術会などにより半ばスケープゴートに近いかたちで戦争協力の罪を非難され藤田は、渡仏の許可が得られると「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残しパリへ移住、生涯日本には戻らなかった。 「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか」、と手記の中でも嘆いている。 「 FOUJITA」題名、オダギリジョー主演で映画化されている。 |
乳白色を多用した画家 | 題材は女性と猫が多い | 猫を抱いた自画像 |
ランチはブラッセリーにて、テリーヌ | ポークとマッシュポテト | イル・フロッタン(メレンゲ) |
★エペルネ(世界最大のシャンパン・メーカー)
パリから1時間強。シャンパンの産地として名高いシャンパーニュ地方の中でも著名なシャンパンカーブ(カーヴ(=酒蔵))が多く点在する町として知られている。 醸造業と砂糖の精製、また帽子製造も主要産業である。 |
フランスで最も裕福な町、それはシャンパン? | 1743年創業の「モエ・エ・シャンドン社」最大、ナポレオンご用達 |
ドン・ぺリニヨン修道僧の像 | ドン・ぺリがずらり |
☆モエ・シャンドン フランスの世界有数なシャンパン製造会社、あるいは同社が製造するシャンパンのブランド名。 創業年は1743年、傘下に最高級シャンパンで有名なドンペリニヨンを有する。1500エーカー(1エーカーは4047 平方メートル)ものぶどう畑を所有し、毎年200万ケース以上のシャンパンを出荷する。 ○ドン・ペリニヨン フランスのモエ・エ・シャンドン社によって生産されるシャンパンの銘柄。俗にドンペリとも呼ばれる。ドン・ペリニヨンという銘柄名は、シャンパンを発明したとされるベネディクト会の修道士ドン・ペリニヨンにちなんで名付けられた。その修道士が、発酵中のワインを瓶詰めして放置したところ、偶然シャンパンができたという。 |
価格表、5200ユーロは70万円程度 | なぜ高い? それは熟成まで多くの時間が必要 |
180cmと背の高い美人がエスコート | 地下15m、全長28km | 蜘蛛の巣がたくさん |
お待ちかねの試飲 | カンパ~イ | 多数の人が購入 |
ナポレオンから贈られたポート酒、創業者は友達であった |
★オーヴィリェール村(ドン・ペリニヨンが眠る村)
シャンパーニュ地方の美しい村「オーヴィリエール」は、公共交通機関でアクセスが難しく、通常の観光ツアーでもあまり訪れない、長閑な田舎村。 オーヴィリエールまでの道中、バスの車窓からは美しいブドウ畑の景色が広がり、村にある教会には修道士ドン・ぺリニヨンのお墓がある。丘の上にある村なので、夏には緑豊かなブドウ畑を一望できる。 |
ドン・ペリニヨン修道士の墓がある | 屋根の飾り | 小学校の屋根、わかりやすい |
教会 | シンプルな内部 |
ドン・ペリニヨンの墓碑 | ドン・ペリニヨンの写真 |
★ランスの クリスマスマーケット
クレーン車の高い所までイルミネーション | ノートルダム大聖堂広場は大賑わい |
屋台 | 当然ワインもある | 風船 |
巨大なクリスマスツリー |
華やかです |
夕食はブラッセリー | 地元のビール飲み比べ | 4種類を味わう |
やはり、ワインですね~ | 山羊のチーズのサラダ |
チキンのシャンパン・クリームソース | リンゴのピザとアイス |
★美食のフランス料理、その代表的な食材
シャロレー種の牛 | 白い牛と赤い肉 | ブレス鶏、フランス国旗と同じ |
シャロレー種 発育の良い事と赤肉量の多いことからイギリス、アメリカ、オーストラリアなどで重用され、純粋種としてのみでなく、他の肉用種や乳用種とのF1作出にも多用される。毛色はクリーム色単色で、額に縮れ毛がある。 有角で大型、元々は役用として発し、次いで役肉兼用とされ、後に肉専用種として改良された。肢の長いものも多い。 雌で140cm、700kg程、雄で150cm、1,200kg程の体格で、産肉能力は1日増体量1.4kg、枝肉歩留63%、脂肪が少なく赤肉生産用とされる。環境適応力も高い。 ブレス鶏 ブレス鶏は、フランス中東部の 3 県にまたがるブレス地方で飼育されている。第三紀に湖であったこの地域の地質は、粘土質で、水はけが悪い。さらに、霧が多く、湿度が高いため、鶏が容易に、ミミズや虫などを掘り起こして食すことができる。 赤いとさか、白い羽、青い脚が特徴のブレス鶏は、フランス国旗をほうふつさせる。 |
★フランスのホームレで見かけた ホームレス
物乞いさんは殆どが犬を連れている | 犬が可愛いからお恵みをする? |
アレレッ! 猫まで どこか侘しそう | カップルの物乞い、若い女性もいる、どこかのどか |
★世界のホームレス
各国のホームレス人数 アメリカ 600,000人 中国 統計発表なし イギリス 41,000人 インド 集計不能? フランス 86,500人 日本 13,000人 ロシア 4,200,000人 デンマーク 福祉国家の代表的な国でも5,000人ほどいるという。 ホームレス、又は物乞い、乞食、浮浪者、路上生活者・・・と各国では表現が違う。 多分、この分野の人々が存在しない国はゼロであると言われる。本当の困窮者は別として、物乞いを職業にしてアルバイトまで雇う「プロの物乞い」もいる。感心?するのは3人の子供を大学に行かせ、家まで購入したという例もある。その他、 ・乞食の組合さえあり、組織化されている。 ・インドのデリー、ムンバイ等の大都市には50万人もいる。 ・週末にアルバイトでコジキをする大学院生もいる。 ・わが子の手足を切断して乞食をさせる親も多い。 ・女性は赤ちゃんをどこかで借りてきて、哀れさを強調するものもいる。 上記の各国統計でロシアが圧倒的に多いが、その原因はシベリアなど極北の町が多く、寒さを紛らすためのアルコール依存症が多いのが一因になっている。同時にアルコール摂取によるための離婚率も多い。 先進国の代表であるイギリス、フランスもそれなりにいるが、薬物やアルコール依存症の人達を除けば、どこかインテリ臭い物乞いが多い気がする。スコットランドの乞食は身なりも良く分厚い本を広げてしきりに読んでいて近寄りがたかった。 先進国や福祉国家は物乞いをせぬように対策をとり生活の保障をしているが、何故か存在する。??? 日本が少ない原因。 日本には貧しい人のために「生活保護」という制度があり、東京では毎月12万円ほどが受け取れるが、多くのホームレスは受け取りを拒んでいる。彼らは「自分の生計は自分で立てる」ことが人としての尊厳だと感じているからだ。 第1に、日本人は極端なまでの羞恥心を持っており、たとえ餓死しても施しを請うことはない。 第1に、日本人は極端なまでの羞恥心を持っており、たとえ餓死しても施しを請うことはない。 第3に、日本の伝統的な武士道文化の中には、『武士は食わねど高楊枝』の理念があるから。 しかし、この家業は「3日経験すると止められない」とも言われているが・・・ |
以前、フランスワインの歴史等でホームページに記載した事がありますので |
旅を終えて・・・ フランスの景観の素晴らしさに先ず感動してきた。「美しい村」という151か所の観光促進村があるが、国も村も個人も全員で協力している。今回は2週間のバスの旅で各地を回ったが、荒れた町は皆無であった。対して、日本の過疎の町へ行くと商店街でシャッターが開けられていない、ゴーストタウンもどきが目につくが、そんな町はフランスにはない。 町や村の人々が平和で明るく、生活を楽しんでいる事が窺われる。聴いて驚いたがフランス人の平均給与は20万円で、ボーナスは無いという。だから共稼ぎは80%以上だが、生活の苦しさはあまり感じられない。生活の在り方をよく理解しているのだろう。さすが先進国の代表である。 フランス・ワインの歴史は6世紀、ローマ・カトリック教会のネットワークで国内に広がっている。日本の聖徳太子の時代であるから、1,500年以上の歴史だ。ワイン造り、ブドウ栽培には思いがこもっている。 ブドウ畑をバスで走り、ワイナリーを見て、時には試飲させてもらうと、その味に歴史を感じるようだ。そしてフランス料理の多彩さに感動させられる。 フランスが農業国であることを改めて知らされる。ともするとフランスはファツションとフランス料理の国と誤解してしまう。牧場が多く、真っ白の牛が長閑に草を食んでいる。チーズの種類と味はどの国にも引けを取らないだろう。そしてチョコレートも。 まるで絵画の中の風景をひた走っているようだ。「ワイン祭り」は期待以上であった。試飲した中で1977年製造、240ユーロのワインの味は未だ脳裏に刻まれ、一生忘れられないだろう。 ランチ・タイム、夕食には必ずワインを仲間で飲む。そしてホテルに帰ってさえも、その日ワイナリーで購入したワインをまたまた飲み干す。参加していた多くの女性が帰りたくないという。上げ膳・据え膳を経験したためである。「栄光の3日間」でなく、「栄光の一生」が続いてほしいものだ。 おわり |