チュニジア紀行
チュニジアの観光地「シディ・ブ・サイド 」の住宅は、アラブ建築、アンダルシア建築の組み合わされたもので、鮮やかな白い壁に青い扉が特徴。〈白と青の小さな楽園〉と呼ばれている。見渡す地中海はまさにチュニジア・ブルーである。 |
旅の初めに・・・ チュニジアについての知識は自分には非常に乏しい。単語で羅列するとフランスの植民地であった、地中海に面するアフリカの国、イスラム教、カルタゴ、ジャスミン革命位である。 乏しい知識の点から線、そして面につないでみようと長い旅に出ることにした。 2019年12月 |
チュニジアはアフリカの最北部 | 首都はチュニス、アンダーラインを回る予定 |
ワンポイント情報 ・国 名 チュニジア共和国 ・言 語 アラビア語、フランス語 |
今回はカタール航空(ドーハ) | アラブやカタールの航空会社は石油資本で成長 |
機体も新しく、サービスも良好 |
カタールは半島の国、1940年に発見された油田によって潤沢な資金を得て「世界で最も裕福な国」の一つとなった。 |
1940年代の石油発見以前の産業は漁業と真珠取りだけであった。 |
豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからない。さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなる。 | 「中東のCNN」と形容されるアルジャジーラの本社がドーハに置かれている。 |
☆到着(チュニジアの首都:チュニス)
チュニス=カルタゴ国際空港 | この大型バス40人乗りにたった7人 |
☆チュニジアの略史
・紀元前264年~146年 第一次~第三次ポエニ戦争(カルタゴとローマ帝国) ・紀元前146年 ローマ帝国がカルタゴを征服 ・7世紀 アラブ侵入,イスラム化の始まり ・1574年 オスマン帝国の属州となる ・1881年 フランスの保護領となる ・1956年 フランスから独立 ・2010年~2011年 ジャスミン革命(民主化運動)「アラブの春」として連鎖 |
チュニスの街、清潔な街並みが続く |
☆アフリカはフランスの植民地が多かった
アフリカ54ヵ国の内、23ヵ国がフランスの植民地であった |
☆ザグーアンの水道橋
全長132キロという長さを誇る、世界最長のローマ水道。 AD2世紀、ローマ皇帝ハドリアヌスの時代、ザグーアン山脈が水源で132キロ先のカルタゴまでつないでいた。高低差330m、1kmでおよそ15センチ自然に流れる仕組みであったと言う。現存しているのは20kmで、アラブ人に破壊されるも修復しながら使っていた。 |
全長132キロは世界一の長さ |
ザグーアン山脈からカルタゴまで | 後方がザグーアン山脈 |
世界の有名水道橋 ・セゴビアの水道橋(スペイン)~長さ813メートル、高さ28.5メートル |
セゴビアの水道橋(スペイン) | ポン・デュ・ガール(フランス) | ミラグロス水道橋(スペイン) |
日本の水道橋 ・熊本県にある通潤橋(つうじゅんきょう)~ 農業用水を主目的とした灌漑用水路橋 ・琵琶湖疏水には南禅寺境内を橋で通過する水路閣がある 東京の水道橋は「きょう」と言わず、「はし」と言うが、長年この近くに住んでいたが、その語源や由来には気が付かなかった。いかに問題意識を持たずに生きて来たかである。 その昔、徳川家康がこの荒地の江戸を開発するに及んで水対策に一番頭を悩ませたと言う。「水道橋」の名前は江戸時代に作られた神田上水の水路橋(水を運ぶための橋)に由来していた。その後は人が渡る橋となっている。 では、中央線のその隣の駅「飯田橋」は、1590年(天正18年)、開府前の江戸で徳川家康にこの地域を案内したのが、土地の長老であった飯田喜兵衛なる人物であった。その功績により飯田町となり飯田橋の名を許されたと言う。 更に一つ、蛇足ながら神楽坂とは、若宮八幡神社において、祭礼の際に神輿がここを渡り、神楽が行われたことに由来する。云うに及ばずその後は花柳界の代表である。 東京の山手線も全てが語源や由来がある。それらを知らなければ、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」で「「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそう。 |
熊本県にある通潤橋(つうじゅんきょう) | 大分県の明正井路一号幹線一号橋 | 琵琶湖疏水には南禅寺境内を橋で通過する水路閣 |
東京:水道橋 | 東京:飯田橋 | 東京:神楽坂 |
☆オリーブ
チュニジアは世界で6番目のオリーブの生産国 | オリーブの生産は、地中海の国に集中 |
オリーブは様々な用途に使われる |
☆オレンジ
42位 チュニジア
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12月はオレンジの収穫が盛ん |
世界の国別オレンジ生産量 |
☆ケロアン
今夜のホテルは「ラ・カスパ」当時の要塞 | 五つ星である | プールもあり立派なホテル |
ケロアンの街に住む老人がチュニジアの国旗を披露 | 優しいおば様がお土産をプレゼント |
ケロアン チュニジア大4の都市といわれるケロアン。ここにはグランド・モスクと呼ばれる7世紀に建立された北アフリカ最古最大のモスクがある。 巡礼の時期にはチュニジアだけでなく近隣諸国からもイスラム教徒がケロアンを訪れるが、7回訪れると、メッカに1回参拝したことと同じとされるので、ケロアンには多くの参拝者が集まる。 |
グランド・モスク | 装飾が見事 |
☆ケロアンの街
アラビアンナイトを思い出す | 女性の服 |
菓子を作るための粉作り、ラクダが一回り、二回り・・・ |
その粉で作った菓子 |
街を行く女性はイスラムのスタイル | 現地ガイドは新婚、写真を見ろと! | 国道沿いの農家には大きなピーマンが干されている |
国民 家族法制定から現在まで女性の社会進出が著しく、アラブ世界で最も女性の地位が高い国となっている。イスラム世界では珍しく、チュニジアは中絶が法律で認められている国である。 チュニジアはイスラーム国であるが、ワインの生産国でもある。 |
☆ランチタイム
国道沿いのレストラン | チュニジアン・サラダ |
ローカル料理の牛肉トマト煮込み |
デザートはもちろんオレンジ、毎回オレンジが出てくる |
☆マトマタ(穴居住宅)
地面に巨大な穴を掘り、その側面に居住用の穴を掘って生活する穴居住宅で知られている。 スター・ウォーズシリーズのロケ地として著名であり、をホテルに改装したシディ・ドリス・ホテルは、惑星タトゥイーンのルーク・スカイウォーカーの家として映画に登場した。また、ゲームソフトコールオブデューティ2においても北アフリカ戦線のシナリオの中で登場する。 マトマタに穴居住宅を建設し居住しているのはベルベル人である。侵攻してきたアラブ人から身を守るため、このような穴居住宅を建設したとされる。 |
ベルベル人 ベルベル人は、北アフリカのマグレブ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア、西サハラの北アフリカをさす)の広い地域に古くから住み、ベルベル諸語を母語とする人々の総称。 ベルベル人という名称はローマ人による蔑称である。ベルベルの呼称は、ギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来し、ヨーロッパの諸言語で Berber と表記されることによる。 |
ベルベル人の男性 | ベルベル人の女性 |
☆ベルベル人の穴居住宅 訪問
国道沿いの小高い丘に、観光用のベルベル人のテントを発見 | テントの奥の細い道を進む |
突き当りには小さな広場があり、いくつかの洞窟がある | 寝室らしい、粗末なタンスらしきもの、周囲は白壁 |
ここは台所、右側にガスボンベ、正面と左には食器棚 | 何某かのチップをガイドから受け取り、お茶を提供。奥さん。 |
地上から見た穴居住宅、周囲は荒れ野でこの位置に立たねば穴居住宅は発見できない |
ベルベル人はアラブ人から身を守るため、平地を追われこの山間の地で、岩の奥や陰に住まいを造った。バスで道路を走っていても決して穴居住宅を発見できない。日本で言うところの、平家の落ち武者を思い出した。 |
☆スターウオーズのロケ地
アメリカ合衆国のスペースオペラのロケ地 | ロケの現場を見学 | 撮影メンバー |
☆今夜のホテルは「穴居住宅」体験
外見はホテル模様だが・・・ | 部屋は窓がなく、穴倉。ピンクの装飾が異様 |
☆エル・ジェム博物館
床も壁も天井もモザイク画 | 一つ一つのモザイクが見事に組み合わせ |
古代ゆえライオンは象徴 |
絨毯の絵柄のように上品で美しいモザイク画の数々が展示されている。 |
☆エル・ジェムの円形闘技場
240年、ローマ皇帝ゴルディアヌス3世によって建築された。 切り石を積み上げて造られた長径約162m、短径約118m、高さ約40m、収容人員およそ3万5000人の闘技場はローマのコロッセオ、ヴェローナの円形闘技場に次いで大きく、保存状態もよい。 |
圧倒的な大きさ | 内部、地下には闘技の為の猛獣部屋がある |
この時期に三階建て、建設手法が素晴らしい | 3万5千人収容 |
☆ランチタイム
イスラム国だがワインを生産、さすが宗主国フランスの影響か、銘柄マゴンは超人気! | 地中海に面しているので魚介類が豊富、本日は魚料理でスズキの揚げ物、美味! |
☆スース(チュニジア第3の都市)
チュニジア第三の都市で、人口は約43万人。 アラブ風の町並みは残り、現在ではアラブ人による典型的な海岸の城砦都市として観光客が多く訪れる。 |
第三の都市、スースの街並み |
アラブらしい、水たばこを吸っている |
スースで一番大きなショッピングセンタで土産物ゲット | ばら撒き用の菓子を沢山仕入れる。全部で2000円程度、安い |
☆12月は柑橘類の宝庫
国道沿いには柑橘類を売る店が多い | ザクロ |
オリーブ | オレンジやバナナ |
サボテン | ザクロを買ったが、20個程度で100円 |
☆ドゥッガ(ローマ時代の遺跡)
ドゥッガは城壁に囲まれたベルベル人の村であり、トゥッガは「牧場」を意味していた。 その後、紀元前2世紀にヌミディア王マシニッサがこの地を所在地とした。ローマ人は紀元前2世紀後半にこの街を占領した。 ドゥッガは東ローマ帝国の支配地となった後、ヴァンダル人に占有された。ドゥッガには印象的なローマの遺跡が残っており、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。 |
紀元2~4世紀には大いに繁栄し人口は1万人以上だったと推測されている |
見渡す限り周囲は畑、そして牧場。ベルベル人の住まいであった。今も村にはベルベル人が居住 |
☆ランチタイム
ロシアンサラダ | イノシシの肉のトマト煮込み |
☆ 首都チュニス
首都チュニスの街並み |
メディナ(旧市街) 1979年にユネスコの世界遺産に登録。 城門をくぐると、迷路のような路地の両側に所狭しとお店が並んでいる。銀食器や陶器、革製品、布製品、スパイス、香水、トルコ帽、バブーシュと呼ばれる革のスリッパなどなど、アラブ世界を感じられるお店が並んでいる。 |
☆バルドー博物館
古代ローマやギリシャ、イスラムなどチュニジアの歴史にかかわる多くの遺物を所有。 また古代ローマのモザイクコレクションは世界でも有数と言われ、「ヴァージルとミューズの女神たち」はルーブル美術館の「モナリザ」に匹敵する。 2015年にバルド国立博物館で、外国人観光客が武装した男2人組に襲われた事件もまだ記憶に新しい。 |
バルドー博物館 | 入口横には2015年に銃乱射事件で犠牲となった方の画像 |
このワンちゃんも犠牲 |
日本人三人の名前 |
床のモザイク | 天井のモザイク |
「ヴァージルとミューズの女神たち」 |
☆ランチタイム
イスラム国で禁酒だが、しっかりビールもある。美味い! | 港町ゆえ魚介類が豊富、本日はシーフド |
☆カルタゴ
フェニキア人の地中海の航路は反時計回りであり、地中海貿易で栄えた |
首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家。 地中海貿易で栄え、現在は歴史的な遺跡のある観光地となっている。古代カルタゴの城塞が築かれていた丘はビュルサの丘として観光客が多い。 カルタゴ、その歴史 地中海交易で栄えた北アフリカのフェニキア人(ギリシァ方面)植民都市。 |
世界遺産 | ビュルサの丘からチュニスの街を眺める |
カルタゴ遺跡 |
カルタゴ:ローマ時代の邸宅跡 |
☆古代カルタゴの「商業港・軍港跡」
現在の商業港と軍用港 | 左が商業港、右が軍港 |
この港の設計は左に商業港を配置し、軍港はその右最奥部に配置して水門を締め切り、敵に発見されにくくしたそうだ。 またカルタゴは交易が得意で、地中海沿岸の諸国と貿易を盛んに行っていたという。自国の商品(銀、銅、鉛など)を輸出する一方で、ペルシャやエジプトから陶器などを輸入していたという。 こうした貿易のための商船が200隻ほどいたらしく、これらが倉庫群のある手前の港に出入りしていたのである。 この軍港には220艘の軍艦が係留できたそうで、1艘の船は漕ぎ手300人、兵員300人が乗船できる大型船だったという。 港に勢揃いした時の様子はさぞかし壮観だったに違いない。この港を中心に奥の丘陵地帯に向けて市街が構成されていたのである。写真の左手正面の小高い丘(ピュルサの丘)がそれで、頂上には博物館(小さな塔のあるベージュ色の建物)がある。 |
☆シディ・ブ・サイド
カルタゴとチュニス湾を見下ろす断崖の上にある絶景の観光地 |
白い壁とチュニジアンブルーの窓のコントラストが映える石畳の街で、チュニス湾とカルタゴを眼下に望み、アラブ建築とアンダルシア建築の青い扉と白い壁が特徴の、美しい住宅が曲がりくねった小道に続き、「白と青の楽園」と呼ばれる。 古代ローマは、現在のシディ・ブ・サイドのある高台に灯台と監視塔を設置していた |
白と青のコントラスが見事な街 | 当時は富裕層の住まいで、多くの小部屋は現在も引き継いでいる。 |
観光客と現地の住民で賑やか | ここがビューポイント | 街路樹はオレンジ |
☆ナツメヤシ
12月はナツメヤシの収穫時 |
ナツメヤシの果実はデーツと呼ばれ、収穫した果実を乾燥させて保存するがこの時期はナマ | 街の至る所でたわわに実るナツメヤシ |
旅の終わり・・・ 国中にローマ遺跡があるようで、まるでイタリアを旅行しているようでもあった。 ベルベル人の穴居住宅を見ると、古代から民族の戦いや宗教による戦いが現在に至るまで続いていることで胸が痛んだ。 綺麗な国であった。果物が美味しい国であった。 終わり |