悠久の古都 小 樽 紀 行

    

                       小樽遠景

 小樽散策・・・

 札幌からわずか38km、車や電車でも1時間足らずの所に港町小樽がある。
30年ほど前に始終グルメを求めて通った「いにしえの街」である。転勤族から解放されてようやく時間が出来、懐かしさをこめて訪れてみた。

 小樽は北海道でも一番歴史がある。明治以降の一時期、北海道経済の中心都市として大繁栄していた。建物も歴史があり、レトロな雰囲気を今も引き継いでいる。

 観光地として札幌とセットで訪れる人が大半である。
そんな小樽の古き良き時代の面影を訪ねて、かつ美味いものめぐりをしてみたい。

 今回の目的には「酒蔵めぐり」の一環として、小樽に唯一ある「田中酒造」を訪れることである。「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」を体験してみよう。

                                    2019年2月

  
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  ☆快晴の元、日本海を列車旅・・・一路小樽へ

      札幌~小樽間を列車旅、日本海の景観に感動しながら     石狩湾を挟んで暑寒別岳の山並みが美しい

 春2月頃、日本海の小樽海岸近辺にはニシンの群来で海面が乳白色に染まる           ニシンの回遊

 群来(くき)とは・・・

 北海道日本海沿岸で見られるニシンが産卵のため大群で 押し寄せ、産卵・放精によって海の色が乳白色になる現象で群来(くき)とよばれる。ニシンが群れとなって来ることからのネーミング。

 昔はニシンが大量に押し寄せて、海は盛り上がり真っ白になったという。近年、ニシンの減少でその現象は見られなくなったが、関係者の地道な放流活動の成果もあってここ数年、小樽の沿岸で観察されるようになった。。小樽では昨年は6年続けて確認されており、ニシンの 漁獲量も復活している。

 札幌の市場では一年を通じて店頭に並ぶようになってきた。最盛期は一匹100円を切る大衆魚となり市民に親しまれている。
  参考:::HP管理人が記した2014年2月のブログは → こちら

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   ☆小樽駅

     昭和9年建造の小樽駅、歴史を見続けてきた 小樽の街は坂が多い。駅前から坂を下ると前に日本海の港が見えてくる。

 おすすめの小樽観光

かま栄、小樽運河、石造倉庫群、朝里川温泉、天狗山ロープウエイ、

田中酒造亀甲蔵、北一ヴェネツィア美術館、寿司屋通り、小樽水族館

運河と堺町通り、ガラス工芸館、ニシン御殿

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   ☆酒蔵を訪ねて・・・

   田中酒造は本店と酒蔵の2か所ある、春の陽気に浸りながら運河通りを散策することにした

  ☆田中酒造 (小樽で唯一の酒蔵)

         亀甲蔵が酒蔵      雛祭りの展示があった   本店は小樽市の「 歴史的建造物」に指定

   田中酒造ホームページ → → → こちら

   見ごたえのある充実した内容である)

 1年を通じて仕込む、全国でも珍しい蔵。北海道の冷涼な気候を活かしている  中国人観光客まで2階の見学コーナーから見る

 日本酒は米と米麹そして水で作られるのが純米酒 田中酒造の水は井戸水を利用

     杜氏の高野 篤生さんは今日も奮戦中    日本酒の最高技術「金賞」を受賞      4代目社長 田中一良さん

  歴史を引き継ぐ田中酒造

 1,899年(明治32年)創業、120年目を迎えた。社員数45人。売上高10億円

 明治中頃の北海道には酒蔵が200件、内小樽には50件もの酒蔵があったという。
 多様化した現在小樽には、ここ田中酒造の1社しか存続していない。

 ・田中社長は国立大学難関の小樽商科大学卒、更に大学院でビジネス業を学び銀
  行に勤務、父親が亡くなったので家業の酒蔵を引き継ぐ。

 ・杜氏の高野 篤生さんも小樽出身、本州の大学で生物学を学び本州からIターン
  し、経験がなかったが杜氏として田中酒造に入り、19年の経験を積む。生物
  学で微生物の研究が得意だったのでその知識を役立てたいという思いもあった
  そう。

 「私と杜氏の考え方、方向性が一緒なのでぶれることはありません。」と
  田中社長は語る。純米酒、純米吟醸、純米大吟醸(いわゆる
醸造アルコール
  
を、日本のどの地域の酒にも負けないものにしたいという目標があると言う。

 カウンターの小樽美人が4種類も試飲を進めてくれた、ウマイ!              代表銘柄は「宝川」

 雛祭りは平安時代(800年代)の貴族の子女の遊びごと、一方、日本酒は飛鳥時代(700年代)から 小樽美人から試飲させてもらう

 日本酒あれこれ・・・

 北海道の蔵元

 千歳鶴(札幌)、宝川(小樽)、二世古(ニセコ)、北の錦(栗山)、金滴(新十津川)、国士無双(旭川)、大雪の蔵(旭川)、国稀(増毛)、福司(釧路)、北の勝(根室)、男山(旭川)、上川大雪(上川)

                                    合計12社
 
(明治中期には、北海道に酒蔵が200社、その内小樽には50社もあったという)

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 清酒とは、米・米こうじ及び水を原料として発酵させてこした酒(アルコール分22度未満)、または、米・米こうじ・水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させてこした酒(アルコール分22度未満)のことで、本醸造酒・純米酒・吟醸酒などに分けられる。

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2016 年度清酒メーカー売上高上位

1位 → 白鶴酒造(株)/兵庫県神戸市 白鶴 348 億円

2 位 → 月桂冠(株)/京都府京都市 月桂冠 274 億円

3 位 → 宝ホールディングス(株)/京都府京都市 松竹梅 248 億円

4 位 → 大関(株)/兵庫県西宮市 大関 164 億円

5 位 → 日本盛(株)/兵庫県西宮市 日本盛 148 億円

6 位 旭酒造(株)/山口県岩国市獺祭 138 億円 (現在話題の酒蔵で急成長中、海外にも)

7位(株)小山本家酒造/埼玉県さいたま市 金紋世界鷹 114 億円

8位 → 菊正宗酒造(株)/兵庫県神戸市 菊正宗 110 億円

9 位 ↓ 黄桜(株)/京都府京都市 黄桜 100 億円

10 位 ↓ オエノンホールディングス(株)/東京都中央区 大雪乃蔵、福徳長 91 億円)

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日本全国県別蔵元数

 第1位:新潟県【89蔵】    6 山形県 54

 第2位:長野県【81蔵】    7 岐阜県 43

 第3位:兵庫県【74蔵】    8 茨城県 42

 4位:福島県【66蔵】    9 滋賀県 42

 第5位:福岡県【58蔵】    10 愛媛県 42

 ↓

 41位:北海道 12 

 47位:鹿児島  0 (鹿児島は焼酎が100%、沖縄は泡盛)
                                  全国計 
1709

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   ☆昔のグルメを訪ねて・・・

平成6年開業、北海道を代表する伝説のラーメン店。行列が絶え間ない
この日も行列で30名ほど、仕方がないので諦めた。
  ラーメンも美味いが、傍らのチヤーマヨがこれまた人気

 小樽市花園町の「魚一心」は美味しさ日本一、だが閉店           定食と言えば、この4品

 客は黙って食べるもの・・・

 その昔、勤務先の札幌支店から社用車を相乗りして、高速代金を払いおよそ30分、店の前に車の列があるかないかで混雑具合を確かめる。12時前に入店しないと満席、ハイ今日は終わり!と断られる。それがこの「魚一心」

 夜は居酒屋だが、昼は定食のみ。黙っていても4品の定食が運ばれてくる。
その日の漁によって刺身の内容が変わる。小樽でも有名な「西村鮮魚店」の直営店なので北海道一、新鮮で美味い魚介類が出されるのである。日本海に住む魚の神様とつながっているのがこの鮮魚店。

 しかし、この店で食べるには大変な努力と礼儀と条件が必要なのである。

 中に入っても「いらっしゃい!」もない。黙って静かに座る。ややすると定食が出てくる。

店のスタッフに余計なことは言わない。「お茶をくれ」などと言えば睨まれる。「後で!」と冷たい応答。自分でポットに近づこうとすると「こちらでやりますから!」と叱られる。

 常連客は知っているので、ここではお茶は飲まない。ひたすら美味しい定食さえ食べさせてもらえればそれで納得。お茶は別なところで飲めばよい。

 今から20年前でも観光客が多かった。まだスマホもない時代だが、情報誌を見ながら大挙押し寄せるのであった。さいわいその頃はうるさい中国人は来ていなかった。

 刺身はソンジョソコラの高級料亭よりもうまいのだ。そして魚、焼きと煮魚があるが煮魚が出てくればその日は当たり! 何と美味いのだ。幸せ、と客の顔が言っている。そして味噌汁、どうしてこんなに美味いのかと不思議なくらい。

 やはり〆はご飯、千昌夫じゃないがライスだなんて云うんじゃないよ(関係ないか)
平成5年ごろ、日本列島冷涼で米不足があり「米騒動」まで起きた時代である。

 不味い米しか出回らなかった頃、この店は美味い米を出し続けていた。
私は以前から営業マン、相手の懐に飛び込むのは得意。それでも意を決して訊ねてみた。「どうしてこんなに美味い米を食べさせてくれるのですか?」と低姿勢で訊ねた。
店主曰く「新潟の米問屋とは長い付き合い、どんなことがあっても送ってくれる」とこの時ばかりは店主はニコニコ顔。 勝ったッ! 愛想の悪い店主に営業マンが勝った瞬間である。

 20年前の値段が確か600円程度。あの味、あの新鮮さ、あの旨さ、例え愛想が悪くても許される。

だが、今回看板はなかった。店も消えたが小樽も消えた・・・と思った。哀愁を帯びて肩を落として帰るワタシ~~~

  ☆仕方なく別の寿司店へ

     地元客がNO1だという寿司屋はお休み  安くて美味くて。この玉が曲者、中にまた寿司が入っている

 寿司屋通りは美味いかどうか分からないが、ここの寿司は間違いなく旨い。
友人の銀行支店長が毎日食べても安いし、美味いと絶賛。

 しかし、外面も店内もお世辞にも綺麗とは言えない。こちらが代わって掃除をしてやりたいほどである。
 東京からの味にうるさい連中を案内しても思わず唸るほどである。

 だが、ここの親父「なまくら」なのである。始終店先に張り紙、「店主の勝手な都合で無期限でお休みいたします」常連客はまたか!とあきらめている。

 それでも近所のフアンは言う。また病気が出たのだろう、と。

常連客はいつ始めるのかな~と心待ち。罪なお店である。

 ある日カウンターの隣席にいた常連客が言う。
間違っても寿司屋通りの店には行ってはならないぞ! と忠告を受けたことがある。小樽の連中は誰も行かない
とまで言う。

 あそこはな、裏で「寿司ロボット」が握っているんだ。人が握るのはカウンターの一部の人間だけだ。大型バスが何台も来て、短い時間で何10人もの寿司を一度に握れるか? しかも愛想が悪い。以前、作家の北杜夫マンガ家の西原理恵子にこっぴどく批判されていたのも当たり前だ。

 寿司っていうのはな、機械が握るもんじゃねえ~、人間様が握るもんだ。だからこの店は本当の寿司だ。(常連客、酒に酔ってきたようだ、止まらない)

    ☆新規「美味いもの店」発見!

ラーメン店は行列、寿司屋はズル休み、探した、あった。駅前に
地元客に大好評、肉の美味さは最高!若い女性一人でも来店する
 看板と臭いにつられ入店、ハンバーグもステーキも美味い
 こんな美味いハンバーグは初めて、赤ワインに合った!

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    ☆今は昔・・・

  昔はこんな広告があった。今は全て倒産廃業。大手に負けた・・・

 ニューギンザ、名前はハイカラだったが。この混雑今いずこ    寒い冬なのに行列が、大黒屋は何処へ行った?

 小樽企業の倒産・廃業

 池田バンビ、北海ホテル、ミツウマ、ニューギンザ百貨店、
 
 大黒屋デパート、丸井今井、キャバレー現代、

 洋菓子製造の「」、小樽ベイシティ開発、㈱花月堂、

            北海ホテル           キャバレー「現代」

 キャバレー

 昭和40年代、「ニューモンパリ」「ルンバ」「ミスターダンディー」が小樽の三大キャバレーと言われ、いずれにも50名以上のホステスが在籍していた。

 また大正時代には芸者が600人以上いたという記述もある。

 「キャバレー現代」は小樽三大キャバレーの中には入っていなかったが、伝説のキャバレーと言われていた ! 
本当かうそか、ホステスが全員60歳以上だとか、70歳、いやいや80歳のホステスがいるとか・・・、
 お化け ??? がいるとか・・・。当時、何度か行ったが中が異常にうす暗いので余計幽霊屋敷かと・・・
それもそのはず、1909年に建てられ1999年に閉店したのであるから、幽霊も90才になる。

 初めてのお客さんは、ホステスを見て、まず固唾を飲んだという。しかし、摩訶不思議なことに、懐かしい小樽弁丸出しの「お姉さま」たちに、3分もすれば慣れた。「お姉さま」たちの生きざまを感じさせる懐深い会話に誰もが魅了された。これは若いホステスには望めないことであった。

 小樽でも札幌でも、当時はキャバレーのホステスは年配のお姉さまが売れっ子であった。話題が豊富で客を喜ばせる術を心得ていたのである。

さて、この「現代」の建物、今はもうない。

 もともとは、祝津のニシン漁三大網元の一つ、白鳥家の別邸として明治42年に建てられた。ちなみに、三大網元とは、この白鳥家の他、ニシン御殿として保存されている青山家、それに、数年前まで祝津に末裔が住んでいた茨木家のことである。

 石原裕次郎館が出来たのは平成3年。30年ほど前  すぐ隣には小樽マリーナがあり、裕ちゃん見たさに大型バスが連なっていた

  

 動画「おれの小樽」(カバー)

 ゴム長靴は漁業の街に必要。ミツウマゴムも倒産   バンビの愛称の池田製菓も消えた

 小樽の衰退原因

 ・経済都市は札幌へ。

 ・資源にも恵まれていない。

 ・港湾都市として発展したが、最大の搬出物であった石炭が皆無となった。

 ・本州との物流拠点や海外との物流拠点としての地位は太平洋側で苫小牧に移った。

 ・小樽港周辺には平な土地が少ない。前は海、後ろは山が接近している。

 ・札幌市より降雪量が多い。

 ・新千歳空港に遠い。

 ・人口

  小樽市の人口のピークは、昭和39(1964)207,095人。2017年には119,985人。
  道内7位。

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  ☆今日の人気スポット

          小樽都通り商店街
一見華やかだが、客は少なくシャッターが下りている店も多い。レトロ商店街と言われている。それでも小樽っ子には唯一のアーケード街なのである


 小樽市祝津の灯台手前に建つニシン御殿、昔の栄華が感じられる。
 現在は博物館

  1958年オープンの「おたる水族館」はいつの時代も人気  標高533mの天狗山、スキー場として市民の人気が高い

   人気NO1の小樽運河、とにかくシーズンを通して人気!        小樽や札幌の奥座敷「朝里川温泉」

 小樽の有力企業

 小樽運河、オルゴール堂、かま栄、北一硝子、北菓楼、上光証券、新日本海フェリー、

 田中酒造、
北海道中央バス、北海道保証牛乳、北海道ワイン、和弘食品、

 ウイングベイ小樽、南樽市場、小樽水族館、
小樽港マリーナ、朝里川温泉など。

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   ☆小樽の情緒

       埋立て方式で造られており、緩やかに湾曲しているのが特徴になっている。全長1,140 m、小樽市の観光資源NO1

            

 動画「小樽のひとよ」カバー

  小樽を一躍有名にした歌

 散策路には63基のガス灯が設置されている。運河沿いにある石造倉庫群は当時の姿を残しており、夕暮れ時からのライトアップの景観が抜群

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   ☆小樽の台所は今・・・

 昔からのライバル市場であったが、現在は格段の差。中央市場は3棟も連なっているが客は少なくシャッターが下りている

   ☆小樽中央市場 (年寄りばかりが売り子、総菜など商品が今一つ、客が殆どいない。)

 小樽中央市場は、戦後外地からの引揚者によって開かれた市場 一時は繁栄を誇ったが、大型スーパーや郊外店に押され客もまばら

     ☆三角市場(若い売り子ばかり、カニやウニ・アワビ・イクラ、満員の客)

   昭和23年頃、7〜8軒の露天商がお店を出したのが始まり 朝市として発展、6店舗のお食事処もあり観光客に人気

 中央市場で働くのはお年寄りばかり、こちらは若者。カニやウニ!   通りには客で動けないほど。外国人客がとにかく多く値段も安い

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      ☆北前船(昔の流通)

越中富山は大商社、北海道から鹿児島まで    江戸時代から明治まで大活躍

 北前船の荷

 蝦夷地の人々への飲食品(米や砂糖)、瀬戸内海各地の塩(漁獲物の塩漬けに不可欠)、日常生活品(衣服や煙草、紙、瀬戸内沿岸産の蝋燭)、製品()など。

 上り荷(畿内方面)は殆どが海産物で、下り荷ほど種類は多くない。

 鰊粕商品作物栽培のための肥料)、数の子身欠きニシン、干しナマコ昆布干鰯など。特に昆布は大坂から薩摩藩を経て、琉球王国経由で中国()にまで密輸出された。

 富山藩には「薩摩組」と呼ばれる担当の部署があり、中国からは漢方薬の材料を輸入して、富山の売薬を支えた。北海道、越中国薩摩国、琉球(沖縄)、清までのルートを現代では「昆布ロード」と言うことがある。 

 HP管理者のブログ 2015年作成「北前船」を参照して下さい。

         「日本一の営業マン」

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    ☆小樽小史

慶長年間(1596には松前藩の出先が置かれていた。

・明治になり蝦夷地北海道と改めた頃は、海の玄関口である小樽にヒトやモノが集まるようになった。

1880年(明治13年)には北海道内初となる鉄道手宮 - 札幌間に開通し、小樽港は道内各地への開拓民の上
 陸や物資陸揚げの港となり、昭和初期にかけて金融機関や船舶会社、商社などが進出して北海道経済の中心都
 市として発展した。

・戦後、ニシン漁の不漁や樺太の喪失、石炭需要の減少、道内他都市の港湾施設整備などによる卸商が衰退し、
 
札幌市が北海道の中心都市として発展すると小樽市は衰退の一途を辿るようになる。

・「運河論争」を機に明治後期から昭和初期にかけての歴史的建造物を観光資源として見直し、観光都市として
 脚光を浴びるようになった。

1920(大正9年):第1回「国勢調査」実施。
 小樽区の人口は108,113名であり、札幌区の人口102,580名より多かった。

1991(平成3年):石原裕次郎記念館開館(2017年閉館)。

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  ☆寿司屋通り

 昭和62年当時、人口17万人規模の地方都市ながら市内に130店舗以上の寿司屋が存在する、日本有数の「寿司の街」であった   小樽運河・ガラス工芸とともに知名度が上がった。
 人気NO1の店構え

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   ☆運河かいわいMAP

            堺町通りを挟んで土産物店、グルメ店、工芸店などがひしめいている

小樽のグルメ

 寿司蒲鉾パンロール海産物・珍味(ニシンホッケカレイサケタラなど)

 花園だんご、ぱんじゅう田中酒造北海道ワイン小樽ビール

           工芸で人気の北一硝子、1日歩いても飽きない通り

        バスで観光客が乗り込む。疲れたら裏側の運河通りで一休み

   ☆堺町通り人気店

 蒲鉾で有名な「かま栄」ガラス越しに見える工場は楽しい        新倉屋の団子は人気商品

庶民の味(日常のおやつ)として明治時代から慣れ親しまれてきた饅頭    上品なお菓子で人気 ガラス製品の製造、販売。工場を見るのが楽しい

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  ☆堺町通りのグルメ

     北海道はジンギスカン   寿司にカニに・・・嫌いな人はいない         海鮮入りラーメン

             中国人一行、騒がしいのでご注意

           ヤキトリ             海鮮丼

    ニシンと刺身の定食    ホッケと刺身の定食        ツブ定食

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  ☆北海道(蝦夷地)を唄う・・・「江差追分」

    
   本唄の歌詞「忍路 高島 およびもないが せめて 歌棄 磯谷まで」       江差追分歌詞と名人・青坂満

   江差追分  動画    名人:青坂 満

   小樽高島岬には灯台、赤い屋根のニシン御殿がある。その手前にあるのが小樽水族館。景観抜群の場所である

               ホテルノイシュロス小樽は小樽のリゾートホテル

   ホテルノイシュロス小樽  動画・・・コマーシャル

上の動画を開き、画面2段目右の三角印をクリック。朝日と夕日、日本海のマリン・ブルーが美しい。

 ホテルノイシュロス小樽は 

ウィーンのお城をイメージしたホテル

 全57室に客室露天風呂が配してあり、夕日の沈む海や、季節によっては漁火を眺めての入浴が可能。 というキャッチフレーズ。

                マリーン・ブルーの日本海に沈みゆく夕日。静かに思い出にふける瞬間である

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 終わりに・・・

 やはり港町小樽は今でも格別の情緒があった。風や空気まで違った気がした。
 新旧の店が入れ替わったとしても、それを受け入れている懐の深さがあるのかもし  
 
れない。港町特有の雰囲気がそこにはある。札幌にはないものが多数ある。

 目的の酒蔵、ただ一軒の酒蔵である。高学歴の社長と杜氏が人生を転換してまで
 120年のバトンをつないでいる。人生にはやらなければならない事がある、と
 いう意思がしみじみ感じられた。そんな雰囲気と香りが酒蔵から匂ってきた。

 郷土北海道の歴史を訪ねて・・・が当分続きそうだ。
 次は何処の酒蔵にするか、好奇心はつのる。
                                終わり

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