モアイの謎!
イースター島のモアイ像 |
太平洋の東に位置する絶海の孤島、北海道の利尻島と同じ程度の面積の島がミステリーに包まれている。 石で造られているモアイ像が何のためか、その数1,000体にもなるという。最大級のものは高さ20m、重量は90トンに達する。 その謎に迫ってみた。さいわいテレビで放映されていたのでそちらも参考にした。 |
☆位置
イースター島は現在チリの領土、チリの首都サンティアゴからイースター島まで3,700km。日本列島(3,000km)よりまだ遠く、陸の孤島である。最も近い有人島まで直線距離2000km余、移民は果たしてどこから来たのか? |
☆ 謎! 移民のルーツは?
イースター島に埋まっている頭蓋骨の鑑定の結果、DNAを調べたところ移民の先祖はタオ族で、台湾の蘭嶼(らんしょ)島と判明した。やがて移民は南太平洋の島々へ、そしてイースター島に渡ってきた。その移動歴史は4,000年ほど、そして移動距離は14,300kmとなる。 果たして移動の手段や技術は??? |
☆ 台湾の蘭嶼(らんしょ)島とは?
蘭嶼(らんしょ)島はは台湾本島の南東沖にある周囲40kmの孤島で、台湾本島から63kmの地点にある。 台湾原住民のひとつで、フィリピン・バタン諸島より移り住んだとされるタオ族である。 主要な産業はトビウオ類などの漁業とタオ族の伝統文化や奇岩などの自然を生かした観光業。 |
現在、民宿が各部落にあり、自給的なタロイモやサツマイモの栽培、養豚、養鶏が行われているほか、山羊が放牧されている。 バイクが主な地元の足となっている。 のどかな島には現在4,000人が住んでいる。 |
☆ 謎 ! どのようにして来た?
当時は大きな丸木船で、安定のためダブルカヌーにした | 帆をかけて、簡易小屋を作り雨風をしのいで何年も航海 |
新天地の食糧にニワトリ | 食料にするため「ナンヨウネズミ」 |
当時の台湾の主食、タロイモを大量に積み込む | 里芋の一種で芋も葉も食べられる |
☆ 謎 ! どこへ来た・・・そしてどこへ行った?
台湾から先ずはタヒチへ、そしてイースター島へ | タヒチは、画家ゴーギャンが晩年移り住んだ島としても有名 |
タヒチはこんな所・・・ |
☆ 謎 ! が深まるモアイとイースター島
☆ 謎 ! イースター島は「楽園の島だった」?
台湾、蘭嶼(らんしょ)島からカヌーで移民が命を懸けて出たのは推定紀元前3,000年頃。 8世紀頃、一部は南太平洋の島々に住み着いたり、タヒチに永住したり、やがて12世紀頃には最終地のイースター島にたどり着いたと推定される。 実に4,000年の長い長い航海であった。 当時のイースター島は火山や山もありヤシの木もあり、緑に覆われた「楽園の島」であった。 周りは海に囲まれ、豊富な食べ物も有り、移民はたくさんの部族に分かれ繁栄した。 |
☆ 謎! 多くの移民はどのように移動した?
この楕円形の遺跡は、カヌーに乗せその上に屋根をのせた | 屋根を付けて、人や動物、水、食料を運んだ |
☆ 謎 ! 箱形の石垣の遺跡は何?
部族の集落に複数ある、この石垣の小屋はニワトリ小屋であった | 石を1個外すと鶏が出てくる。夜は自分で帰って来る |
移民当時は緑の大地で水は豊富、地下洞窟にも沢山 | 台湾やタヒチからのタロイモを栽培した |
☆ 謎 ! 文字「ロンゴロンゴ」とは?
多くの謎が科学者により解明されているが、いまだにこの「ロンゴロンゴ」という文字は解明されていない。 魚や人などのように見えるが |
☆ 謎 ! 「モアイ像」とは?
イースター島には1,000体のモアイ像があった。現在は復元 | 面長、がっしりアゴ、堀が深い。当時の理想の顔、イケメン |
長い年月で首だけが残り、下は埋まってしまったモアイ像。 |
☆ 謎 ! モアイ像は何故作った?
イースター島の祭祀遺跡、首長の墓碑の役目。モアイとは |
アフと呼ばれた石垣の墓碑、その上に建てた首長の数だけモアイ像がある。 |
☆ 謎! 首長は超能力者?
首長のモアイ像の頭の上には多数の石模様のものが乗っている。 漁や作物の植え時、刈り入れ時を占い、その結果、石を1個づつその場所に置き、部族に知らせた。部族は超能力者と崇めた。 しかしそれは首長が頭が良く記憶力が良かっただけのことである。 |
☆ 謎 ! モアイ像、どのようにして造った?
100体もの巨大なモアイ像はどのようにして造ったか? イースター島には岩山が多数あった。 モアイは比較的加工し易い素材である凝灰岩を、玄武岩や黒曜石で作った固い石斧を用い製作されている。 多くの部族が、首長の墓石のために長い年月をかけて造った。 |
☆ 謎 ! どのようにして運んだのか?
何とモアイ像は歩いたのである。
足の底を、前の部分に傾斜をつけて前かがみにし、ロープを頭にしばり、左右に交互に引っ張ると、右・左と前に出る。あたかも歩いているように。 わずか20人足らずの人力で歩いたのである。 4,000年もの昔にこんな知恵があったとは・・・ 普通は丸太を置いて転がすが、丸太の数と人数が足りなく効果的でなかったようだ。 |
動画・・・歩くモアイ像 ← クリック |
☆ 謎 ! モアイ像は何故巨大化したか?
部族が増えていき、部族間の争いや競争が始まった。 部族や首長の権威を示すために、徐々に大きなモアイ像を造るようになった。 最大は高さ21m(ビルの5階建て)、重量90トン(クレーン車なみ)であった。 |
☆ 謎 ! 星とモアイとは?
部族の首長は11月になると見れる星座のスバルを見ていた。 渡り鳥が飛んでくることや、作物の収穫物の時期をいち早くスバルを見て、判断し皆に伝えていた。 だからモアイ像が海や内陸を見て立っているが、一部は空のかなたを見ているのがある。 |
☆ 謎 ! ネズミが文明を滅亡させた?
イースター島へ移民するための食糧であった「ナンヨウネズミ」が、文字通りネズミ算式に増え続け、ヤシの木や実などをすべて食い、森が500年で消えてしまった。 森林がなくなり、木も無くなりカヌーが作れないため、漁が出来なかった。木がなくなり土が雨で海へ流出し、畑も流され食料も出来なくなった。 飢餓である。 |
☆ 謎! 何故モアイ像は破壊された?
飢餓状態が続くと、少ない食料をめぐり部族間同士の争いが頻繁に起こる。 標的は相手の一番大切なものである首長のモアイ像である。こうしてモアイ像は激減していった。 |
☆ 謎 ! 洞窟にある多数の人骨は?
アナカイタンガタ 部族の言葉である。「洞窟で人間を食べる」 飢餓状態になった部族は、止む無く女性や子供の肉を食べだした。究極の選択である。 この結果、最大2万人いた人口が3千人になってしまった。 |
☆ 謎 ! 何故、神は現れた?
争いに疲れ、このまま争うと滅びてしまうときずいた部族は闘争を止めた。 そして全部族の共通の神として一人の首長を選んで、作物を作る工夫をした。 |
☆ 謎 ! 何故、滅亡に向かったのか?
18世紀~19世紀、南アフリカのペルーが、奴隷狩りで島に来て全島民3000人の内、1500人を拉致した。 |
☆ 謎 ! 何故、滅亡したのか?
その後、ペルーに各国から抗議されたため、たった15人を島へ帰した。 しかしそれが不幸の始まりであった。 全員が伝染病のお土産付きで戻ってきたのである。 その結果、1500人が111人に激減していた。 そして追い打ちをかけるように、イギリスが島に入植し、全員が島から追い出された。 1600年、島民は島に戻る事が出来、今日に至る。 現在島には6,600人が住んでいる。 |
終わりに・・・ 21m、90トンのモアイ像が歩いた。1,000年以上も昔のイースター島の部族は天才である。またそれを想像して結論を出した現代の科学者も素晴らしい。 コロンブスのように国の手厚い保護で航海したのとはかなり違う。ダブルカヌーで気の遠くなるような年月をかけて航海したのである。ネズミを食べて・・・、しかしそのネズミによって、文明が破壊され滅亡していく・・・、 当時はネズミは貴重な食べ物であったと思われる。 調べていくうちに、共に航海した様な気になった、そうロビンソンクルーソーのように。 終わり |