出雲路 紀行
出雲路の道は鬱蒼と茂り、しかも静かで、木々の間から神々の声が聞こえてきそうである。 |
神々に導かれて・・・ 2018年6月、かねてからの計画で日本のパワー・スポットの一つ「出雲路」を旅することにした。 パワー・スポットには、人を癒すものがあるらしい。それは樹々や建物、山、川、神社仏閣と様々であるらしい。科学的に言うならば何か特別な磁力が発せられるのかも知れない。 ある分類で「日本のパワー・スポット10選」と言うのがある。伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、戸隠神社、高野山、熊野三山、天岩戸神社、出羽三山神社、春日大社、霧島神社である。 今回の出雲大社で全て網羅することになる。信仰心があるわけでもなく、特別に磁力なるものを感ずるわけでもないが、山登りや物見雄山的に、ついで観光しての結果である。 伊勢神宮や出雲大社は、江戸時代やその前から、多くの人々が訪れていたそうだ。日本は農耕民族であるから、農閑期には疲れを癒すために神社仏閣を訪れたようである。この場合、寺や神社でなくてもよいが、この時代は現在と違って観光する場所が見当たらず、結局温泉か有名な寺、神社となったという。 今回、温泉&神社で有名な出雲路を行くことにする。出雲大社もさることながら、一番の目的は「三朝温泉」である。癌に効く日本の三大温泉、それこそパワー・スポットである。 出雲大社は果たして・・・ |
☆ 出雲路2県 MAP
鳥取県は、日本の都道府県で人口が一番少ない | 全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。 |
・人口 561,000人 ・県庁所在地~鳥取市 ・観光地~鳥取砂丘、皆生温泉、三朝温泉、大山 ・特産品~松葉がに、二十世紀梨、砂丘らっきょう、 |
島根県 ・人口 680,000人 ・県庁所在地~松江市 ・観光地~出雲大社、石見銀山遺跡、玉造温泉、松江城、 ・特産品~隠岐の島イワガキ、宍道湖シジミ、安木ドジョウ、 |
☆鳥取へ
鳥取空港の愛称は「鳥取砂丘コナン空港」 | 鳥取県出身の漫画家青山剛昌さんの漫画が出迎え | 通路に沢山張られていた。 |
空港の近くの「松葉がにセンター」へ拿捕される | 一つ500円の牡蠣を味わう |
☆鳥取砂丘も パワー・スポット!
空港から10分ほどで道路上に標識が見えてきた | 砂丘入り口の注意書き |
入り口には来場者のカウント機があり | 道路から10mで砂丘へ |
チラホラと人影、向こうは海原 | 緑のオアシスも少しはある | ラクダも観光用に待機 |
砂漠と砂丘の違い! 砂丘は、風によって運ばれた砂が堆積してできた丘上の地形のこと。(地形) 日本で唯一の砂漠は、東京都の伊豆大島にある「裏砂漠」 日本三大砂丘 猿ヶ森砂丘(青森)(鳥取砂丘のおよそ30倍)が1位だが、防衛省の下北試験場(弾道試験場)の敷地になっているため、 一般人の立ち入りが禁止。よって鳥取砂丘以下となる。 1位.鳥取砂丘(38㎢)、 2位.吹上浜砂丘(鹿児島)、3位.中田島砂丘(静岡県) 世界の三大砂漠
鳥取砂丘の広さ 南北2.4km, 東西16kmに広がる。植林や農地開発などが行われたため、砂丘らしさが残るのは 砂丘の形成 中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっている。花崗岩は、お墓に使われる墓石の一種で、非常に硬く、風や火にも強い。最大高低差は90m。大きなすりばちは40mの高さになる。すりばちの最深部には「オアシス」と呼ばれる地下水が湧出している場所がある。 |
☆砂の美術館
鳥取砂丘に隣接 | 世界の彫刻家、丸印が日本の茶圓勝彦さん |
・日本で唯一のプロの砂像彫刻家・茶圓勝彦(「世界が尊敬する100人の日本人」)がプロデュース。 ・毎回、各国のプロの砂像彫刻家を招いてテーマに沿った砂の像を制作する。 ・かって、「空中都市マチュピチュ」「ニューヨークの摩天楼」「リオのカーニバル」などがある。 ・2018年は、テーマ:〔砂で世界旅行・北欧編〜美しい自然と幻想的な物語の世界へ〜〕 |
サンタクロース | トナカイ |
デンマークの人形姫 | 館内 |
☆三朝温泉(温泉パワースポット)
道路標識 「日本遺産」 |
橋の上から見える露天風呂 | 無料の露天風呂 |
宿の露天風呂にしばし浸かる。今のところは癌ではないが何事も予防医学 |
三朝温泉に住む住民は、がん死亡率全国平均の50%と分析されている |
風呂の宣伝ポスター「三度目の朝で元気になる温泉」・・・これが三朝温泉の語源 |
癌に効く秘密はラドン含有量の多さ。国内ベストスリーの一つの、有名温泉 |
病院も宣伝? |
☆癌に効果的な日本の三大温泉 (三朝温泉・玉川温泉・増冨温泉)
玉川温泉:秋田県 | 増冨温泉:山梨県 |
☆安来節 (足立美術館のすぐ隣)
島根県安来市の民謡は余りにも有名 | 200名収容 | お馴染みのどじょうすくい |
☆安立美術館
国内外から年間50万人以上が訪れる | 創業者 安立全康(あだちぜんこう)の銅像 | 日本一庭園、広さ50,000坪 |
地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう、1899年 - 1990年)が1970年(昭和45年)、71歳のときに開館したものである。 |
枯山水庭、白砂青松庭、苔庭、池庭など見事 | 池の鯉も高価そう |
これらの松の木の植え方までも、全て創業者が指示したという | 松同様、苔にもスペアが準備されている |
・毎朝、開館前に全職員が1時間かけて掃除をする。 ・社員面接の条件は、学力だけではなく掃除をさせてみて、掃除のセンスを見てから決めるという。 ・専属の庭師が7名。 ・庭の影の奥には代替えの樹木を揃え、何時でも代えられるようにしている。 |
美術館の徹底した「おもてなし」の姿勢が見られる | 園内には赤松が約800本、別の場所にはスペアが400本 |
足立全康(あだちぜんこう) 戦後、新大阪駅付近がまだ田園地帯であったころ、次々と土地を買収していった。 昭和33年当時、新大阪駅周辺は一面田園地帯、足立氏は地主から土地を精力的に買収し、2、3年の間に当時十数億円の利潤を上げた。 自伝には<大阪市から「足立さん、もう相当儲けなはったでしょう。このくらいで少し静かにしといてくれんかね」と言われたので撤退することにした>とある。 |
四季に応じた庭造りが素晴らしい |
■庭園 この日本庭園は、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の庭園ランキングで15年連続日本一(2003~2017)に選ばれている。5万坪。 ■名画 ■陶芸 |
☆横山大観コレクション
「紅葉」 |
『雨霽る』 | 『霊峰不二』 |
横山大観 明治元年(1868)~ 昭和33年(1958) 茨城県に生まれる。東京美術学校第一期生として、岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受ける。 朦朧体(もうろうたい)(はっきりした輪郭をもたない画風)とよばれる画風を試みる。 明治,大正,昭和の3代にわたり常に画壇の第一人者であり,昭和期には画壇のみならず,社会的にも大きな影響力を持った。 |
☆八重垣神社
由来は、須佐之男命と稲田姫(櫛名田比売)を祀っている | 鳥居 |
二股の椿が咲くので有名 | 資生堂花椿のルーツは出雲椿 | 椿の葉が二枚に分かれている |
須佐之男命(スサノオノミコト) | 神話での系図(天皇家の祖先?) | 櫛名田比売(いなたひめのみこと) |
神話での記述 高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のイナタヒメに出会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のイナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいイナナダヒメが愛しくなったスサノオは、イナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、イナダヒメをスサノオに差し出した。 スサノオとの結婚が決まると、イナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変形させられ、小さな櫛に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。ヤマタノオロチ退治の準備はスサノオの指示で、アシナヅチとテナヅチが行った。 イナダヒメを頭に挿したスサノオは、見事十束剣によってヤマタノオロチを退治する。ヤマタノオロチを退治した後、スサノオはイナダヒメと共に住む場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。 後に二神は八島士奴美神を生み、その子孫が大国主神 (出雲大社の祖)になる。と言うお話。 |
男性のシンボル、子宝の神社でもある | 鏡の池 |
占い方法 |
境内奥では硬貨を占い用紙に乗せて浮かべ、その沈み具合で縁を占う鏡の池がある。 ・まず、鏡の池の畔(ほとり)に座って、占い用の和紙を池に浮かべる。・和紙の中央に10円玉か100円玉を乗せる。・しばらくすると、和紙に文字が浮かんでくる。(実はこの和紙は水に濡れると文字が浮かぶ特殊な和紙。)・浮かんできた文字は実はお告げが書かれている。 |
池の周りは女性のみ、何時の時代も女性は興味を示す? | 良いことしか書いていない! |
☆ランチタイム
出雲大社近くの土産物屋のレストランでランチ | 売店では竹下元総理の孫「DAIGO」のマーク | この地区は竹下酒造 |
日本三大蕎麦の一つ、出雲そば | この地区はやはり、因幡の白うさぎ(お菓子) |
出雲神話で勉強! スサノオやオオクニヌシ | 出雲阿国はこの地出身 |
☆出雲大社(パワー・スポット)
正面 | 境内の広さは、約18万平方メートル、東京ドーム約4個分 |
神社の代表的存在と言えば「伊勢神宮」と「出雲大社」 一番大きな違いはご祭神で、伊勢神宮は天照大御神を、出雲大社は大国主大神を祀る |
大国主命の像 | オオクニヌシとアメノホヒの系図 | 境内にある大国主命と白うさぎの像 |
大國主神と天穂日命 日本神話では、天より高い宇宙に住む神を「天津神」と言い、天照大神が代表的。 天照大神の子である「天穂日命」は、地上の悪神を鎮め、出雲地方平定の為、出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。 天照大神は大国主神に、出雲大社を造りその「祭神」とするので譲ってほしいと要請した。その結果天穂日命は出雲大社の「祖」となる。 |
境内にある大国主命の像 | 大国主命と因幡の白うさぎ像が出雲地方に多い |
拝殿の注連縄は長さ6.5m・重さ1t 神楽殿は長さ13.5m・重さ4.4t |
6年ごとに取り換える | 大社造りの屋根 |
出雲国造家は「千家家」と「北島家」がある | 両家とも天皇家や神様につながる? |
千家家の屋敷 | 両家は出雲大社の左右にあり、結婚式を行う | 北島家の屋敷 |
出雲大社アラカルト ・縁結びの神として知られる出雲大社では、旧暦の10月に全国の八百万の神々が集まり縁結びの会議をするとされている。 ・参道の松の木の樹齢は、古い木では推定350年~400年。 ・国旗の大きさは、13,6 m×9 m、畳75畳分の大きさ。 ・出雲大社の境内で、時々、黒白の幕が張ってあるのは? ・出雲国造は、天照大御神の子の天穂日命(あめのほひのみこと)の神裔である。 ・出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、南北朝時代に「千家」と「北島」の2家に分裂し、その祭事は幕末までは両家が二分 して行っていたが、明治以降から現在までは千家家が執り行っている。 またそれぞれ大国主大神を主祭神とする宗教団体として、千家家が出雲大社教、北島家が出雲教を主宰している。ちなみに当 時、両家は兄弟であったが、相続問題で分裂した。 |
出雲大社の正式な参拝作法は「2礼4拍手1礼」 | 巫女さんの踊り | 参拝の盃は持ち帰りOK |
縁結びの神様の神社ゆえに、結婚式はかなり多そう。千家家より北島家で行う方が地元では多いそう。人気があるのは何故? |
天皇陛下や皇族 | 旧皇族 |
第84代、千家尊祐さんと後方が85代予定の千家国麿さん | 千家尊祐さん |
出雲大社の職称(職名) 宮司(グウジ:神社の代表)
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話題となった千家国麿さんと高円宮典子さん、最近見かけないと地元では心配 |
☆神社と大社
「三大」神社と「三大」大社 伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮が三大神宮。(「神宮」「宮」は皇室に関係する神社。) 伊勢神宮は、皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀る。 熱田神社は、三種の神器の歴代天皇が継承してきた三種の神器の一つである草薙剣を祀る。名古屋市。 明治神宮は、明治天皇を御祭神とする。 出雲大社、日吉大社、春日大社が三大大社。(「大社」は格式高く、規模の大きい神社) 出雲大社は、大国主神が天孫に国譲りをするにあたり創建された社。出雲市。 |
☆神社とお寺の数
日本の神社数 神社の神職者数 |
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日本のお寺の数 お寺の坊さんの数 |
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日本のコンビニの数 5万5,000店 |
☆出雲路の農家
出雲路を行くと、農家の立派で歴史ある家屋が多い。水稲、梨、ブドウ、ラッキョウ、スイカ畑が広がる |
☆玉造温泉
温泉街に入ると巨大な壁に「玉造温泉」 | 温泉街に流れる清流 | 川沿いに公共の足湯 |
橋の欄干にはこの地の特産品、勾玉 | 観光客が足湯でひと時 |
今夜のホテルの露天風呂でゆっくりくつろぐ |
玉造温泉の由来 平安時代より三名泉と言われ、規模、歴史ともに皆生温泉、三朝温泉らと共に山陰を代表する温泉地である。 玉造という名の由来は、この地で良質の青メノウが採掘できたために、この地の人々が玉造を生業としていたことに由来していると考えられる。 三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたと言われている。 |
☆宍道湖(しんじこ)
宍道湖では、白い船に一人でシジミを獲る光景が映える | ここはシジミの漁獲高で日本一 |
空が茜色に変わる頃から始まる湖上の「夕日ショー」。日没30分前のドラマは、湖を赤く染める夕日に浮かび上がる嫁ヶ島のシルエットでクライマックスを迎える。感動の風景は、日本の夕日百選にも登録。 |
宍道湖の由来 出雲国風土記によると、その昔「大国主命」がお供の犬を連れて猪狩りに出かけたところ、追い込まれた猪と追い込んだ犬がその地の神社で何故か石になってしまったという。 その名の通り神社には、猪を表す巨石と犬を表す石が祭られている。(ちなみにこの神社の御神体は犬を表す「犬石」。) 猪(宍)が通った道=宍道と町名の由来となり、はたまた宍道湖の名前にもなっている。 |
☆いずもまがたまの里 (パワー・スポット)
「出雲型勾玉」を伝承するいずもまがたまの里伝承館 | 無料送迎バスまで用意 |
原石を磨き上げた | 2トンの原石 |
勾玉の不思議な形は頭の部分が日(太陽)を表し、尾の部分が月を表している。この太陽と月が重なりあった形は大いなる宇宙を崇拝していたと思われる。そして穴には祖先とのつながりを持つことにより、我が身に降りかかる邪気・邪霊から身を守り、その恩恵を受けたとされている。 神話の時代に「スサノオノミコト」が「ヤマタノオロチ」を退治した後、「勾玉」を「アマテラスオオミカミ」に献上された。これが三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」になったと伝えられている。 |
☆松江城
松江城 1611年堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が築城 | 堀を利用して観光船がゆっくり案内 |
歴代藩主 外様大名の堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)(24万石)→→→徳川家との縁戚深い京極忠高(26万石) →→→徳川家康の次男「結城秀康の三男「松平直政」(20万石)
・堀尾忠氏~関ヶ原の戦いで、武功を徳川家康から賞されて、出雲松江24万石に加増転封された。 後継者不在で改易。2代33年間。 ・京極忠高~義母は浅井長政三姉妹の一人「初」、正室は「初姫」で徳川二代将軍の秀忠の四女。 後継者不在で改易。1代3年間。 ・松平直政~徳川家康の次男「結城秀康」の三男。10代233年間。 |
堀尾吉春像 | 階段で天守閣へ |
天守閣、殆ど展示品はない | 大坂の陣で、真田信繁(幸村)に若武者ぶりを讃えられた軍扇 |
松平直政 ・越前北ノ荘藩主・結城秀康(徳川家康の次男)の三男として誕生。 ・信濃国松本藩主を経て出雲国松江藩初代藩主 ・大坂の陣のとき、大坂城の真田丸攻めで奮戦、敵の大将であった真田信繁(幸村)に若武者ぶりを讃えられて軍扇を投げ渡されている。 その軍扇は直政が初代藩主となった出雲松江藩の宝として残され、今も松江城天守閣の一角に展示されている。 |
☆由志園 (ゆうしえん)
入口 | 見事な庭園 | 足立美術館と似たような美しさ |
☆牡丹
昭和50年4月、当時陸続きでない大根島に、何トンもの重い土・庭石・樹木をガット船一隻と、ブルドーザー一台を使い、8年の歳月を費やして築山式の日本庭園が完成。 |
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オタネニンジン(朝鮮人参) | 牡丹の競演 |
牡丹の栽培がさかんな島根県松江市の大根島にある日本庭園。 ボタンの苗木栽培が盛んであり、年間約200万本が生産され、日本の生産量全体の8割以上が大根島で生産されている。 大根島農業の中心であったのはオタネニンジン(朝鮮人参)の栽培で、生産量では長野県、福島県に次いで3番目が島根県(大根島)である |
☆日本の三大蕎麦
出雲蕎麦(島根県) | 戸隠そば(長野県) | わんこそば(岩手県) |
出雲蕎麦 ・出雲蕎麦の特徴は、蕎麦粉を作るときソバの実を皮ごと石臼で挽くためそばの色は濃く黒く見え、香りが強い。 ・出雲そばの中では三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばがもっとも有名な形。 ・江戸時代、出雲地方の松江では野外でそばを食べるために、弁当のように重箱にそばを入れていた。この地方では当時重箱のことを割子と呼んでおり、形も四角いものが多かった。しかし四角形だと隅が洗いにくく、衛生上良くないということから、今のような丸い形になった。 ・薬味は主にねぎ、のり、もみじおろし、かつおぶしなど。 ・食べ方~三段重ねの場合、まず一番上の割子にだし汁を全部入れて蕎麦を食し、食べ終わったら残っただし汁を二段目にかけて食す、というふうに、だし汁を使い回しながら上から順に食べてゆく。 |
☆さようなら~
帰りは「米子鬼太郎空港」から | 水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』にちなむ |
バスの運転手も鬼太郎 |
旅を終えて・・・ 150か国に及ぶ世界旅行で様々な国を訪れ、そして宗教とその建物・施設を見てきた。 キリスト教の大聖堂や教会が100mの高さを誇る豪華さと、縦6m・横10mほどの宗教画やパイプオルガンでの大迫力は、多くの無知な国民に信仰心を植え付けてきた歴史がある。 日本は幸せ? かもしれない。神道と仏教が早くから存在していたので極端に妄信しなかったともいえよう。 日本も世界も宗教を見るとき、宗教の従事者によって利用されてきた感がある。建物の巨大さや訳の解らぬ念仏で幸せが得られるという、結果的に貢物のほかない。 今回、観光バスで回ってみた。やはりこの地へは女性が多く、その目的はパワー・スポットに触れて何かを得たいという。旅の最後に聞いてみた。 パワーは感じましたか? 何か磁力か霊を感じましたか? 癒されましたか? 皆さんから明確な回答は得られなかった。ただ温泉には癒されたらしい。出雲大社の規模はただただ大きく、大聖堂やモスクには負けていなかった。 文中の統計にある、寺や神社の数がコンビニの数より多いのには驚きを感ぜずにはいられない。 終わり |