アルジェリア紀行
アルジェリアの首都「アルジェ」のカスバ(城壁)。後方はフランス風の建物が並び、「北アフリカのパリ」と呼ばれている。白壁が美しい。後方の旧市街部は100mの高さの土地にカスバの古い旧市街が広がる。 |
厳格な中世のイスラムの生活様式が今なお残るムザブの谷、今なおこの地で暮らすのは戒律の厳しいイスラム教徒のモザビト人。白い装束に身をつつみ顔も片目しか見せない女性達。そして写真も撮らせない。 |
2019年12月、今年はアフリカ3か国目がエチオピア、チュニジアに続いて、アルジェリアとなる。世界の大陸の中で一番興味を覚えるのがアフリカ大陸である。殆どの国が発展途上国で、近代化とか文明には縁がないのではないかとさえ思わされる。 アルジェリアと言えば2013年1月に起きたガス田プラントの人質事件で日揮の日本人社員10人が殺害されたことも記憶に新しい。 それ以外では、予備知識としてはカスバとか、映画「望郷」程度しか記憶にない。果たしてイスラム圏の国から、どのようなインパクトが得られるかを期待して機上の人となる。 |
赤印は当時フランスの植民地、23ヵ国もあった。2位が英国 | アンダーラインの7か所を巡る |
☆略史
・紀元前3000年頃 フェニキア人(現在のレバノンあたり)が植民地を建設 ・紀元前110年頃 ローマ帝国の支配(先住民族ベルベル人) ・430年 バンダル族(ゲルマン民族)支配 ・531年 ビザンチン帝国(東ローマ帝国)支配 ・7世紀 アラブ人支配 ・16世紀 オスマン帝国支配 ・1830年 フランスの植民地 ・1962年 フランスより独立(8年間の独立戦争) |
☆入国(コンスタンティーヌ)
コンスタンティーヌ空港 | コンスタンティーヌ空港、新ターミナル |
空港からバスで走ると既に夜、「サラ・ベイ橋」がライトアップ |
今夜のホテル「ノボテル」 | 翌朝、ホテルの周辺 |
☆ワンポイント情報
・面積 アフリカで最大 ・人口 4220万人 ・首都 アルジェ(人口200万人) ・民族 アラブ人(80%),ベルベル人(19%) ・言語 アラビア語、ベルベル語、フランス語 ・宗教 イスラム教(スンニ派) ・経済 石油・天然ガス関連産業 ・平均寿命 73.26歳、一夫多妻制 ・識字率 69.9%(男性:79.6%、女性:60.1%) |
☆コンスタンティーヌ(3番目の都市)
この高さ175m、下には川が流れている。敵が押し寄せてきたときは天然の要塞となった |
コンスタンティーヌの街並み、人口44.8万人 |
アルジェリア北東部に位置する同国3番目の規模の都市である。 内陸都市としてはアルジェリアで最大の規模を有する。2008年当時の人口は448,000人。 都市の名前はローマ皇帝コンスタンティヌス1世に由来する。また、コンスタンティーヌは伝統的なイスラームの学術都市、難攻不落の軍事都市の一面も持ち合わせている。 経済:滝の水力開発を利用した食品工業、機械工業、繊維工業が盛んに行われている。また、コンスタンティーヌは皮革、繊維など伝統的な手工業の中心地でもある。1972年にはディーゼルモーター、フォークリフトの製造工場が建設された。 町には金細工の店が多いほか、銅盆の生産でも知られている。 |
昔は要塞、今では観光資源 |
シディ・ムシド橋は、アルジェリア北東の町コンスタンティーヌの高さ175mのリュメール渓谷の上に架けられている吊り橋。 長さは164m、幅は5.70mあり、17トンの重さに耐えられる構造。 1876年、町に病院が設立された際により早い輸送方法を考えてこの橋の建設計画が進められた。 フランス人エンジニアのフェルディナン・アーノダンが設計し、ドイツのヴィッテ社が建設、同時に造られたシディ・ラシェッド橋と同じ1912年4月19日に開通した。 橋からは渓谷とコンスタンティーヌ市街の素晴らしい景観を堪能できる。 |
箸を挟んで双方に街が広がる | 橋から下を見るとまた橋がある、そして川が |
おっかなびっくり橋を渡る | 中間の道路は岩を砕いてトンネルへ | ようやく向こう側へ |
☆VIP待遇
街の散策にはその町の私服警官が数人ガード | 外国人観光バスにはパトカーが先導する |
☆アルジェリアの状況
・アルジェリアの国土の約9割はサハラ砂漠の一部 ・国土面積のうち3.5%が耕地であり、人口の10%弱が農業に従事している。 ・農業は、小麦、大麦、ナツメヤシ、オリーブ、柑橘類。 ・観光地 アルジェ(特にカスバなど)、ティムガッド遺跡、ティパサ遺跡、ジェミラ遺跡 ・人口の約90%は、北部の地中海沿岸地域に住んでいる。また、人口の約半分が都市部に住 ・2009年、35,000人の華僑(海外中国人労働者)が居住している。 ・世界遺産 ベニ・ハンマードの城塞、ムザブの谷、ジェミラ(山村の遺跡)、ティムガッド |
☆ジェミラ遺跡
アルジェリアの北東の岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。 古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。 特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。 フランスが土砂の中から発見したが、未だ50%程度しか発掘されていない。 |
カラカラ帝の凱旋門 カラカラ帝は Septimius Severus(セプティミウス・セウェルス:146年〜211年)の長男で暴君として知られるが、ローマ領域内における民族の出自差別を撤廃した。ローマのカラカラ浴場は彼の名を冠してつけられた。 |
紀元前古代ローマ時代の遺跡 |
セプティミウス・セウェルス帝神殿 |
宗主国フランスによって土砂の中から発見されたと言うが、まだその規模は50% |
トイレ、ローマ時代は皆が並んで、社交場? |
ローマ劇場 30段、観客席3000人 |
☆夕餉
ショルパ・スープ | 小さく四角いパスタトマト味とチキン |
ブリック(春巻き) | 羊肉グリル | 毎回出るデザートのオレンジ |
☆アルジェリアのガイド
ガイドと言えば数カ国語を話すのが通常だが、彼は英語とフランス語のみ。 一般的にイスラム社会では結婚前の男女の付き合いはご法度らしい。そこで結婚相手を見つけるのは一家のお母さん、いろいろな集まりでお母さん同士が情報交換したり、女の子を見つけたら話を聞いて、お母さんの目にかなった女性がいたら先方のお母さんと交渉をし、了解したら若者同士を合わせるという段取り。家と家の了解が先らしい。 |
☆SP(セキュリティポリス)の交代
警察には境界があり、パトカーとSPが交代する。その間ジッと待つ。30分も待つことがある。 | 3人が中継地点で交代のメンバーが来るのを待つ。手前の赤服現地ガイドはイライラして待っている。 |
☆イスラム教徒の女性の衣装
黒い二カーブを被り、目だけ出している女性、既婚者である | 未婚の女性はヒジャブという頭を覆うスカーフ |
市場を歩くといろいろなスカーフの女性が見られる | こちらも二カーブ |
☆ムサブの谷(厳格な中世のイスラムの生活様式が今なお残るムザブの谷)
ムサブの谷:ローカルガイド。女性の写真は撮らないようにと注意 | 狭い通路が目白押し、敵の進撃を防いだ |
交通手段はロバたち | 私も女性だけど写真OKよ! |
子供たちは外国人に興味津々 | 細い迷路が延々と続く |
あどけない子供たち、ズッと追いかけてきた | 女性は写真を撮られると「魂」を取られるとかたくなに思っていると言う。だから拒否! |
☆ムサブの住民の住まい
観光用の住宅 居間 | 寝室 |
台所 | 敵と戦った銃 |
☆ガルダイア
ガルダイア(ムザブの谷の町:厳格な中世のイスラムの生活様式が今なお残るムザブの谷) 人口は10万人以上、ムザブ谷の中心にあり、アルジェリアのイバード派ムスリムの拠点で、中世の建築様式をよく保っている。その谷の一部は世界遺産に登録された。 サハラ北部、砂漠の中の涸れ谷に忽然と現れる不思議な町ガルダイア。アースカラーやパステルカラーの立方体の家々が斜面にびっしりと張り付くように密集し、全景を見るとピラミッド状の丘の頂にはミナレット(尖塔)が聳え立つ、魅惑的な光景である。 かのフランス人建築家ゴルビジェも絶賛したガルダイアの都市設計。11世紀初めに要塞都市として建てられ、今なおこの地で暮らすのは戒律の厳しいイスラム教徒のモザビト人である。 広場ではアーチ型のアーケードの店や露天のスーク(市場)に人が溢れ、活気に満ちている。スークにはたくさんの野菜が並び、肉屋には鶏肉や羊のほかにラクダ肉も売っている。 土産物屋の2階の絨毯屋の小窓から広場を見渡すと、そこからの眺めはまさに絶景なのである。 |
土産物屋の2階の絨毯屋の小窓から広場を見渡す |
土産物屋の2階の絨毯屋の小窓から広場を見渡す |
土産物屋にある絵 | 土産物屋にある絵 |
☆ガルダイアの「市場」
市場 |
何かナ! |
路地のスーク |
スークとはアラブ人やベルベル人の世界で、商業地区を言う。ナツメヤシが格安 |
二カーブやヒジャブの女性 | 二カーブやヒジャブの女性、「魂」が取られましたよッ! |
☆今夜の夕餉
今夜は民家レストランを訪問 | 大量のサラダ、これで一人前・・・ |
クスクスとラクダ肉、右側の野菜ソースをかけて食べる | オレンジが安心して食べられる |
☆城壁に囲まれた中世の街並みが残る「ムザブの谷」
ムサブの名物ローカルガイドは声が大きい | 午後二時ごろ、昼寝をしている人達はガイドの声の大きさに皆起きてくる |
☆ベニ・イスゲン
アルジェリアのサハラ砂漠北部、ムザブ地方の涸れ谷(ワジ)に位置するオアシス都市ガルダイア南東郊の集落。10世紀から11世紀頃、イバード派ベルベル人によって築かれた丘の頂のモスクを中心とする古い街並みと、伝統的なスーク(野外市場)が残っている。1982年にガルダイアや周辺の集落とともに「ムザブの谷」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。建築家ル・コルビュジェも魅了され、影響を受けたといわれる立方体の建物が並ぶ独特な街並み町はアルジェのカスバの様に路地が迷路のように複雑に入り組んでいる。少数民族ベルベル人のムザブ族は、「コーラン」の教えを厳格に守り続け、特に既婚女性は片目だけを、未婚女性は顔だけを出した白いチャドルをまとって外出する。 |
丘の頂にはミナレット(尖塔)が聳え立つ |
☆メリカの「シディ・アイサの墓」
アルジェリアのサハラ砂漠北部、ムザブ地方の涸れ谷(ワジ)に位置するオアシス都市ガルダイア南東郊の集落。 10世紀から11世紀頃、イバード派ベルベル人によって築かれた丘の頂のモスクを中心とする古い街並みが残り、聖者シディ=アイサの墓がある。 1982年にガルダイアや周辺の集落とともに「ムザブの谷」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された |
シディ・アイサの墓 |
ムザブの谷とは、いくつかのオアシス都市が集まった一帯のこと。 厳格なイスラム教徒でありながらイスラム主流派から異端と見なされてしまったベルベル人の一部族、ムザブ族は迫害から逃れ、この地に辿り着き町を築いた。 中心となっている同じエリアにある5つの町は、それぞれが城壁で囲まれている。その中のひとつ、ベニ・イスゲン。5つの町の中でも最も戒律が厳しく、聖なる町とも呼ばれている。「イスラム教徒の清教徒」とも呼ばれている。 小高い丘の上に建つミナレットを中心に、レンガ色の家がひしめき合う光景は圧巻。 観光客の入村時間が設けられ、村の入り口には外国人観光客が守らねばならないルールも明記されている。村ではほとんど女性の姿を見かけないが、時折すれ違う女性は皆、ベールを身にまとい、片目だけを出している。 ローカルガイドは、特に女性の写真は撮らないようにしてくださいと言う。女性は写真を撮られると「魂」を取られると思い込んでいると言う。 |
この衣装の女性たちに夜に会うと穏やかではないだろう。この地区の女性は男性の了解なしには村からは一歩も出られないという。厳格なイスラムの教えを守っている。片目だけで器用に歩く。 |
☆ティパサ
1857年に建造されたその近代的な町並みは、砂浜でひときわ目立っている。 町の名前はアラビア語 で「荒廃した都市」の意味である。その名前の由来となった古代ローマの遺跡群が町には残り、ユネスコの世界遺産にも登録されている。 人口7,000人 アルジェリア北部の村。首都アルジェの西約 70kmの地中海沿岸に位置する。
アルジェリア北部の村。首都アルジェの西約 70kmの地中海沿岸に位置する。 |
☆マウレタニア王家の墓(クレオパトラの娘の墓)
クレオパトラの娘の墓 | ラクダはタクシー代わり |
紀元1世紀の建立のマウレタニア王家の墓、国王ユバ2世とエジプトのクレオパトラの娘である王妃クレオパトラ・セレーネの墓と言われる。 墓は周囲185.5m、直径60.9m、高さ32.4m、60本のイオニア式柱と東西南北に4つの偽扉がある。東側の偽扉の下に内部への入口があり、内部には「の」字型の通路と真ん中に玄室があるというが、入ることはできない。 扉に十字架状のレリーフがあることからキリスト教徒の墓とも言われた。1982年、世界遺産の標識があるが、ティパサとともに登録された死者の記念塔か? |
☆ランチタイム
アルジェは港町、本日はシーフード |
アルジェではワインも製造している | スープもシーフードの良い香りと味がする |
ケースの魚をオーダーすると焼いてくれる | 今が旬のナツメヤシが抜群にうまい | ミレアムのワイン |
☆ティパサ遺跡
地中海沿岸に位置するティパサは紀元前7世紀にフェニキア人によって建設され、フェニキア語で「市の広場」と呼ばれていた。 ポエニ戦争の後、ローマ帝国に支配されるようになり、神殿・浴場・劇場などの現在見ることができる多くの建物が建設された。 劇場跡やモザイクの残る教会跡、円形闘技場など保存状態の良い遺跡が残っており、地中海の青さがさらにティパサを美しく見せている。 |
ティパサの世界遺産マーク | 海に沿って遺跡が続く |
遺跡は延々と続く |
前方には墓標らしきものが見える |
墓標か屋敷跡か |
ここは神殿か浴場跡だろうか |
ローマ劇場跡 |
今夜の夕食もシーフード |
☆新郎新婦
ホテルのロービーではにかむお二人さん | 綺麗な花嫁さんでした |
☆独立記念塔
アルジェリア独立戦争殉教者記念塔 |
塔の周りは厳重に見張りが建つ |
アルジェリア独立戦争殉教者記念塔は、1962年7月5日のアルジェリア独立記念日20周年を記念して1982年に設立された殉教者に捧げるモニュメント。 記念塔は軍事要塞の跡地で、アルジェの町を見下ろす高台にある。モニュメントは92mの高さがあり、3つの椰子の葉の形が中間地点で合流している。 直径10mのイスラム様式の砲塔と高さ7.6mと6mのドームがついている。椰子の葉それぞれの下には兵士の像があり、各像はアルジェリア独立運動の戦いの様子が段階を経て再現されている。 |
☆首都アルジェの街
人口は335万人、地中海の要塞として古くから発達した |
映画「ターザン」のロケ現場の森 |
☆アルジェ(首都)
フランス風の建物が並ぶ | 北アフリカのパリとうたわれている |
・人口335万人、地中海の要塞として古くから発達した都市 ・都市は、海岸付近の低地に発達した近代的な部分と標高100m以上の高地にある古都部分に分けられ 海岸付近は「北アフリカのパリ」という言葉に相応しく、フランス風の建築物が立ち並んでいる。地 ・映画「望郷」の舞台として知られるカスバ(城壁)は1992年世界遺産に登録された。カミュ作の小 ・アルジェ港からは鉄鉱石、リン鉱石、ブドウ酒、コルク、オリーブ、オレンジ類を輸出する。 |
☆カスバ
映画『望郷』の舞台となった旧市街「カスバ」 カスバが築かれたのは16世紀初頭のこと。「赤ひげ」と呼ばれていた海賊の首領バルバロス兄弟がオ
実際に路地を歩いてみれば、その悲痛なさまが明らかである。構造上、ある家が崩れると、それと折 宗主国のフランスはこの地区を改良してやると言うが、アルジェは拒否している。何故かと言うとま 映画~カスバは、しばしばアルジェリアを舞台とする映画や音楽作品に登場する。 |
カスバの看板 | カスバは何処へ行っても道が狭い | 坂道が殆ど |
映画「望郷」の場面に出てくる場所、左からジャン・ギャバンが、右からカスバの女ミレーユ・バランが・・・ |
狭い階段、家と家が寄りかかった住宅群 | ワタシ、カスバの女よ! |
倒壊しそうな住宅に住む人も多い | 隣近所がもたれあいながら立っている住宅は1件が崩壊すると数件が廃墟に |
アートが似合うカスバ | 芸術的なアート |
動画
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「カスバの女」が出たッ! |
映画「望郷」 |
犯罪者ペペ・ル・モコ (ジャン・ギャバン) |
ギャビー (ミレーユ・バラン) |
カスバの女 |
植民地下のアルジェリアで撮影された『望郷』(1937年フランス製作)では、フランスからアルジェリアへ逃亡した大泥棒ペペの潜伏先にカスバが選ばれた。 劇中では不穏な空気が流れ、世界各国の犯罪者が隠れる「怪しげな」街として描写された。 |
☆モスクと青空市
イスラムのモスク | 賑わう青空市 |
ノートルダム教会 アルジェリアがフランスの植民地だった1858年から1872年にかけてネオ・ビザンティン建築様式で建設された。 |
アルジェの街の街路樹はヤシ、ナツメヤシは12月が食べごろ |
☆ランチタイム
アルジェの人気店へ | 本日はバーベキュースタイル | チョイス |
野菜と果物 | スープ | スペアリブが美味かった |
☆さよなら~
旧空港 | 中国がプレゼント?した新空港 |
アルジェリアとはこんな所 ・アルジェリアと言えば2013年1月に起きたガス田プラントの人質事件で日揮の日本人社員10人が殺害され そのためか観光は、警察車両の先導で巡る。バスから降りると私服警官が数人前後をガード。 ・アフリカ大陸において最も領土が広い国 ・紀元前には内陸部にベルベル人が存在した。 ・1960年代にはサハラ砂漠でフランスの核実験が行われた。先進国は自分の土地では核実験を行わない。 ・兵器体系はソ連に準じていたが、ソ連崩壊後は中華人民共和国や欧米からも導入して装備を多様化させている。 ・アフリカ諸国、アラブ諸国の中心的存在にある国の一つである。2005年にはアラブ連盟の議長国を務め、国連 ・国土の大部分を砂漠が占め、乾燥した平原地帯となっている。しかし、北部には2000m級のアトラス山脈が走 ・平均気温は夏は20から25℃、冬は10から12℃。地中海沿岸以外の国土の大部分は、砂漠気候となっている。山 ・経済は天然ガスや石油を産出し、それ以外にも鉄鉱石やリン鉱石などを産する。国内産業は農業が主で、小麦、 ・特徴的な作物としては地中海性気候に適したナツメヤシ(45万トン)がある。生産量は世界シェア7位に達す ・中国が国内のインフラを支援している。首都の新空港も中国が建造中。 ・独立後イスラーム法に基づいた家族法の下で、アルジェリアでは一夫多妻制が継続された。2005年の新家族法 ・人口の30%が15歳以下である。 ・民族 ・国民の80%がアラブ人で、残りの20%がベルベル人 ・南部の砂漠地帯には少数派の約150万人の遊牧民(ベドウィン)がいる。「アラビア半島を中心にラクダ・羊 ・難民キャンプには、西サハラからのサハラウィー人が46,000人が居住している。 ・2009年、35,000人の華僑(海外中国人労働者)が居住している。 ・教育 6歳から15歳までの義務教育が敷かれている。2002年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は69.9% フランス、イギリス、スペイン、ドイツ等々のヨーロッパ先進国は植民地政策として今で言うところの虐待統治 |
旅を終えて・・・・・ いつもながらアフリカには驚かされる。特にその地に住む住民は古代から殆ど変化がないのではないかと思えるほどである。 特にガルダイア、ムサブの谷、ベニ・イスゲンなどは目が点になったままの自分に気が付いた。 この辺の子供たちは全員が携帯やスマホなどは持ってはいない。キャー・キャーと追いかけっこばかりしている。全員が友達であろう。 文明の機器など必要ない、そんな気がした。 終わり |